ジェイン・ジェイコブズ『市場の倫理 統治の倫理』香西泰訳
山岸俊男の本で高く評価されていたので、読んでみました。これはすごい本でした。
人類の道徳を二種類に分けて捉え直すという着想もさることながら、それを6人の登場人物からなる小説ないしはプラトン流の対話篇形式で語るというスタイルも意表をつくものがあります。
こういう書き方でもいいんだ、という可能性を身を持って示してくれると、後に続く著述家たちの無意識のリミッターを解除してくれる効果があります。
そのためついつい、自分も書いてみようかという気になってしまいそうですが、ここは何よりも著者の精神の自由さを見習うべきところでしょう。そもそも簡単にかけるものではありませんし。
さて、著者のいう「市場の倫理」とは、「暴力を締め出せ」「自発的に合意せよ」「正直たれ」「他人や外国人とも気やすく協力せよ」といった形で、人びとの自由な意志に基づく、暴力を排除した契約社会のそれで、題目通り商業と相性がいいものです。
他方「統治の倫理」とは「取引を避けよ」「勇敢であれ」「規律遵守」「伝統堅持」というように、共同体のまとまりを重視し、略奪と収奪を根底においた戦闘的かつ戦略的なそれです。
これは山岸俊男の信頼社会と安心社会の区分に対応するものですし、ベルクソンなら開かれた道徳と閉じられた道徳のそれに対応するものですが、著者はこの二種類の倫理を混同すると「救いがたい腐敗」が生じると見ていることです。
この着想が最初に示されたのはプラトンの『国家』で、探してみると岩波文庫上巻の300ページあたりになるほどそのような記述がありました。スタイルも含めて、著者のアイデアの源泉になっていることがわかります。
それにしても、どうも両方の倫理の「いいとこ取り」というわけにはいかないようで、伝統的社会において、両者の混同が避けられてきたのは、著者によれば、一つには身分制社会だったからという理由が挙げられています。
このあたり、人類史上のある時期から資本制社会のパワーが増大する近代市場社会に入るわけですが、両方の倫理の混同がそのこととどんな関係にあるのかは、本書では特段には触れられていません。これは自分で考えておきましょう。
わが国に関して言えば、武士道と町人道徳を混同されることを考えるとわかりやすいかもしれません。今なら官僚の行動パターンが、武士道に当たると考えたらいいかもしれません。かなり情けなくなっていますが。
もっとも、日本に限らず、今日の民主主義社会においては当然ながら身分制をとることはできないので、著者はこうした二種類の倫理の存在を認めた上で「自覚的倫理選択」をしなければならないと考えています。
そううまく行くかどうかはわかりませんが、さしあたり、現代の道徳的腐敗の原因をこの二種類の道徳の混同に基づくと考えるのは、かなり有効な視点だと思いますし、おお、これは町人道徳(市場の倫理)だな、とか武士道ないしは役人根性(統治の倫理)だなと見ていくだけでも面白かったりします。
他にも細かな話題として、イク族の話とか身分制社会における商人の位置づけとか、グラミン銀行の話とか、様々な貴重なトピックが出てきて、本当に勉強になります。本を書くならこれくらい知的刺激のあるものにしないといけませんね。
(日本経済新聞社1998年2000円+税)
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