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2013年6月 8日 (土)

ヒューム『人性論』(三)大槻春彦訳

文庫の三巻目は原著の第二篇「情緒について」ですが、現代風に言えば「情念について」でしょうか。

この巻ではこれまでの抽象的議論から、具体的な自負と自卑、徳と美徳、美と醜、所有と富、名声愛、といった情念ないしは感情の問題が考察されています。

第一篇の「知性について」のような論理で押していく書き方と違って、少し勝手が違うので、本来の総論に当たる部分の第一篇をもう一度読みなおしながら、並行して読み進めました。

具体的な議論の展開の仕方が今の感覚からすると18世紀風にのんびりしているように見えるのが、ちょっとした違和感の理由のようです。論理についていくのではなくて、リズムに乗るのにコツが要るようです。

それにしても、経験論から問題が情念や道徳へと展開するというのは、要は個々の人間のミクロの印象や観念がどうやって社会全体の問題になっていくのかということだろうと思います。

一人の人間の話で収まりきれなくなってくるので、これは社会理論を含まざるをえないのです。ここでヒュームは「共感」という作用を一つの鍵概念として考えています。

この方向で論じられた社会理論というのは実は社会理論という看板を掲げる形ではほとんど存在しないように思われます。個人と社会の間には何らかの懸隔があって、単なる個人の集合がそのまま社会になるのではなく、社会はある意味でまとまった対象として、「物として」とらえられたり(デュルケーム)、理念型としてモデル化されたり(ヴェーバー)したほうが通りがいいからです。

経験論的立場では個人と社会との間に本質的な違いを認めないので、そこからどんな形で話が拡がるのかということは、実は昔からずっと考えてはいるのですが、それがそもそも「理論」として成り立つのかという問題もあるので、なかなか厄介です。

ただ、経験論と相性のいい社会理論家というのは、本人がそれを意図したかどうかはさておき、ニーチェ、フロイト、ベルクソン、アラン、D.H.ロレンス、ハイエク、ファイアアーベント、タレブのような、大理論嫌いの思想家たちではないでしょうか。(マイケル・ポラニーもハイエクに影響を与えたということから、このリストに入れておきたいと思います。)

とまあ、こんなことを考えながら読んでいます。

(岩波文庫1995年リクエスト復刊620円税込)

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