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2013年9月29日 (日)

フロイト『改訳 精神分析入門』安田徳太郎・安田一郎訳

授業でフロイトに触れるため、読みなおしました。

何年ぶりだろうと思って奥付を見たら、昭和56年22版とありました。

最近はKindle版もあり、上下巻それぞれ500円で売られています。

電子書籍にしては高いかも。上下巻合わせて500円だったら買ってもいいですが。

安田親子による翻訳はいいと思います。人文書院の著作集と比べても遜色ないくらい丁寧に訳されています。

訳者それぞれの序文やあとがきも時代の風潮がわかって面白いです。

「私の翻訳をとおして、日本でもフロイトの名前はいっぱんに有名になったが、日本の異学区者はフロイトの原文を一ページも読まないくせに、さっそくフロイト征伐に乗り出し、私もそのまきぞえで、マルクスとフロイトがたたって、とうとう七年目に官学からたたきだされた。ゲンコツが私へのほうびであった。それほどマルクスとフロイトの名前は日本の官学のお気にめさなかったのである」(安田徳太郎4頁)

息子さんの一郎氏はそうした父上の巻き込まれた状況に触れながらも、「私は本書が発刊後六十年もたった今日、なお多くの人から読まれているのは、指針分析が思想であったことによるのではないか、と思っている」(577頁)と述べています。

これは本当にそのとおりだと思います。

フロイトは本人としては科学を思考していたことはもちろんですが、思想家としても豊かな才能を持っていました。

おそらく最も重要なのはいわゆる「無意識」の世界の発見です。

「人間の精神には自分が知っているのを気づかずに知っているものがあるという仮説」(110頁)のことです。

これは混沌とした現状を立体的に浮かび上がらせることのできる虚焦点として、理論的に機能します。

また、神話や物語として時間的要素を繰り入れて人間の自我に説明を与えてくれることは、不安な精神状況にある人びとの思想的な足場を固めてくれることになります。たとえ説明がちょっとズレていても、患者にとっては治療的効果があったりしたのかもしれません。

物語や神話の方向にドライブし過ぎるとユンクのようになって破門されちゃうのかもしれませんが、その種もしっかりフロイト自身が本書の中で撒いていたりするので、その可能性を読み込むテクストとしては十分だと感じました。

ラカンなんかが言うことはしばしば芝居がかっていて謎めいていますが、「フロイトに返れ」というのは本気なんだろうなという気がしました。

(角川文庫昭和45年改版初版、昭和56年22版560円)





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