« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »

2013年11月23日 (土)

Malcolm Gladwell, Outliers: The Story of Success

有名な「1万時間ルール」をはじめ、人間の才能や教育についてのヒントがたくさん詰まった本です。

才能が開花するには当然運も見方に付けなければなりませんが、そのレベルに達するには1万時間を超える訓練が必要だというのは、そうなんだろうなと思います。

教育制度についても驚くべき成果を上げているニューヨークのKIPPという小学校の例なんか実に示唆的です。大学教育にも活かせる点がありそうです。

最後の章は母方の祖先のジャマイカの状況もわかって、著者の出自とともに興味深かったです。著者のお母さんの作家デビューの話ももう少し詳しく知りたかったところです。

アマゾンでは勝間和代の翻訳が酷評されていますが、原書で読むのはやはり時間がかかるので、明らかな誤訳が少なければ、まるで翻訳者が著者のような売り方をされている邦訳書であっても、本書の啓発的な内容からすれば、買って損はないかもしれません。

(Back Bay Books, 2011)

| | コメント (0)

2013年11月20日 (水)

E・ジルソン『中世における理性と啓示』峠尚武訳

中世の哲学者・神学者はアウグスティヌスとトマスしか読んだことがありませんが、本書はイスラムの哲学者アヴェロニウスやアヴィケンナの影響にも触れて、当時の思想状況が世界的な拡がりの中で描かれています。

以前から気になっているロジャー・ベーコンやオッカム、アンセルムスといった人たちのこともポイントが押さえられていて、小著ですが、中世思想史が通観できます。

ただ、それほど読みやすい本でもありません。『神と哲学』のほうがもっとスッキリとまとまっていてわかりやすかったです。

この違いが何によるものなのかはわかりませんが、著者にとってはひょっとしたら射程が広いテーマのほうが言いたいことが言えることもあるのかなという気がしています。

次は『理性の思想史』(行路社)を読むつもりですが、これは近代の哲学まで含む思想史なので、ちょっと期待できそうです。

(行路社1982年、1545円)

| | コメント (0)

2013年11月17日 (日)

E.ジルソン『神と哲学』三島唯義訳

ギリシャ哲学においては物事の「本質」が問題とされたのに対して、中世のアウグスティヌスからトマスにおいて、「存在(する)」ということが形而上学的意義を獲得するという流れが明快に説かれています。

ジルソンの方法は「過去の哲学の歴史から、哲学的問題の正しい定式化に取り入れられるべきもろもろの基礎資料を選び出し、これらの資料に基いて、その問題の正しい解決をおこなう」というものです。

このやり方は私も常々そうしたいと思ってやってきたものと多分同じだろうと勝手に思って、なんだかジルソンを味方につけたような気になっています。

先日はアウグスティヌスから申命記にさかのぼって、モーゼの発言に感心していましたが、選び出されたテクストがアウグスティヌスの『告白』の同じ箇所だったりするので、やはりここに注目するんだ、と嬉しくなってしまいます。

「主われらの神は、唯一の主にまします」(申命記6-4)

というところです。

これをジルソンは「それ自体はもともと哲学的でない陳述が、いったん立てられた後は哲学の歴史における画期的な陳述となってしまった」(62頁)という公平かつユーモラスな言い方をしています。

ユダヤ・キリスト教の神とギリシアの神々とはまったく違うのですが、これが相乗作用をしていく歴史を実にうまく物語ってくれています。さすが大学者だけのことはあります。

(行路社1975年初版、1992年5冊、1545円)

| | コメント (0)

2013年11月14日 (木)

聖トマス『形而上学序説 有と本質について』高桑純夫訳

聖トマスが若いころに書いたと言われる形而上学の序説です。

所々にアヴィセンナを引き合いに出していて、かなり影響を受けていることがわかります。

形相とか実体、質量とかについての議論はアリストテレスの用語を消化した上で、キリスト教的な明確な立場からの展開が見られます。

その事が確認できたら、個人的にはもう十分なのですが、この粘り強い論理に付き合っていくと、それはそれで感心させられるところがあります。

無類の倫理観に裏付けられた、そして、自己顕示欲の全くないハイデガーみたいな感じがします。

まあ、格が違いすぎますけど、聖トマスには不思議な爽やかさがあります。

中公世界の名著シリーズもこれでようやく読む気になってきました。

と思って本棚を見ても、それらしいのは持っていませんでした。うーん、勘違いだったかなあ。

(岩波文庫1935年、1990年第7刷、310円)

| | コメント (0)

2013年11月11日 (月)

聖アウグスティヌス『告白』(下)服部英次郎訳

下巻では「無からの創造」「記憶」「時間論」などについて魅力的な議論が展開されています。

たとえば、記憶の力についてアウグスティヌスは、

「この力はもちろんわたしの能力であって、わたしの本性に属している。しかもわたしは、このわたしというものの全体を捉えることができないのである」(21頁)

このあたり、「我思う、ゆえに我あり」というデカルトの楽観とは対照的です。アウグスティヌスは、記憶のうちには、感覚によって得られない知識があるということを見てとっていて「それらのものがすでに私の記憶のうちにあった」(24頁)と述べています。

神秘的と言って単純には片付けられない問題を含んでいるのが、アウグスティヌスの哲学的才能の特徴で、ここから最大限のものを引き出しているのはたとえばベルクソンのような哲学者かもしれません。

ほかに、世界は無から、み言葉において創られたとか、私たちは魂において時間を測るとか、宗教的であることはもちろんですが、哲学として考えてみるべき問題がふんだんに含まれているテクストです。

存在と認識と意志の三者において、「わたしは存在し、認識し、意志する。わたしは認識し、意志しながら存在し、わたしが存在して意志することを認識し、存在して認識することを意志するのである」(214頁)という表現があったりします。

以前から感じていたことですが、こういうところを読んでいると、デカルトなんかは神の御言葉を理性に置き換えて水で薄めたような気がしてきます。アウグスティヌスのある種のスピリチュアルで獰猛な魅力というものはまったくなくなっています。

これは『三位一体論』にもチャレンジしなくてはいけないですね。

(岩波文庫1984年第7刷400円)



| | コメント (0)

2013年11月10日 (日)

聖アウグスティヌス『告白』(上)

以前、この上巻だけ読んでいたものを再読。このあと下巻も目を通します。

アウグスティヌスについては、ちょっと理性というものの理解についてデカルトからさかのぼってみようと思ったからです。

デカルトのコギトは有名ですが、アウグスティヌスについての研究書によって、どこかに「私は、欺かれるなら、存在する」(Si fallor, sum.)という表現があるらしいと知ったからです。

これにはいろいろ面白い問題が含まれていますが、とりあえず読みかけのものから読み直さなければ、と思った次第です。

読んでみると、少なくとも本書にはこの表現は見当たりませんでしたが、それとは別にアウグスティヌスがヨハネ書1.14の「御言葉が肉となった」を様々な角度から考察しているところに興味を覚えました。

考えてみたら、ヨハネ書の「始めに言葉ありき」の「言葉」はデカルトにおいては「理性」だと見ることもできますからね。

デカルトの信仰についてはこれまたいろんな研究書がありますが、アウグスティヌスからトマスを経てデカルトにつながる線は存外はっきりしているのではないかと思いました。

それはそうと、アウグスティヌスはさまざまな女性問題で相当苦労していたんですね。あらためてそちらについても感心させられます。

(岩波書店1976年改訳、1984年第7刷400円)

| | コメント (0)

2013年11月 9日 (土)

Jane Jacobs, The Economy of Regions, Third Annual E. F. Schumacher Lectures, 1983

ジェイン・ジェイコブズの講演録です。Kindleで入手しました。

著者は様々なの実例を示しながら、地域の経済発展に必要なものは、輸入置換とイノベーションだと説いています。

都市は開放系のシステムであり「人間の洞察のなせる技であるイノベーション[発明・発見]という形での新たな提供が常になされている必要がある」と最終ページで述べられています。

輸入置換の問題は著者の他の書物でも強調されていましたが、イノベーションについてはこの1983年の講演で一層明快に述べられています。

この講演録を読んでもまだジェイコブズの思想の核心をつかんだという気はしませんが、少し理解が進んだかもしれません。

都市と地域経済の問題に関心がある人は、ぜひ著者と問題を共有して、この魅力的な着想のいっそうの理論化を進めてもらいたいと思います。

てなことを言っていると、お前がやれと言われそうですが。

それはそうと、この講演録、誰か日本語に翻訳してくれないでしょうか。

(Schumacher Center for a New Economics)

| | コメント (0)

2013年11月 7日 (木)

三浦しをん『天国旅行』

死んだ先に天国があるのかどうかはわかりませんが、しみじみと死を思わざるをえない気分にさせられる短篇集です。

カバーの裏表紙に「すべての心に希望が灯る」とありますが、そんなに爽やかな読後感ばかりではありません。

やっぱ、死を扱ってますからね。世の中いい死に方ばかりではありませんから、それぞれの作品も、それなりに複雑な思いになります。

でも、7つの短編のどれも面白かったです。

後味の良さという点では「初盆の客」がよかったです。

(新潮文庫、平成25年、520円+税)





| | コメント (0)

2013年11月 6日 (水)

ニーアル・ファーガソン『劣化国家』

民主主義、司法主義、法の支配、市民社会の「4つのブラックボックス」の劣化原因とその処方箋を探る本です。

法の支配ではなくて、法律家の支配になり、官僚支配になってしまったらアウトだということが特に印象的です。

ここから脱却する処方箋として、人びとの潜在能力とネットワークの力を活かすことが示唆されています。

「有効な代議政治、ダイナミックな市場経済、法の支配への支持、国家から独立した市民社会―これらが見られる場所では、人口の密集がもたらす便益が費用を上回る」(171頁)

この記述のすぐ後と83ページの2箇所でタレブの「抗脆弱性」 Antifragile という概念に言及がなされていました。確かに世界観はタレブとも共通しています。

本書はもともと講義録として書かれた内容ですので、本としてはあっさりして物足りないところがあります。この欠如感はタレブを読んで補うようにするといいかもしれません。

なお、本の装丁が劣化した古書のようなちょっと凝ったデザインで面白かったです。

(東洋経済新報社2013年1600円+税)

| | コメント (0)

2013年11月 5日 (火)

ヘーゲル『小論理学』(上)(下)松村一人訳

読んだのはこれで3度めになります。

この独特の「論理学」は一貫してヘーゲルの強烈な情念によって支えられています。

この情念は創造力につながり、思想は単に人間が頭のなかで考えているだけにとどまらず、自らの矛盾を抱えながら「概念」→「理念」→「絶対理念」へと成長していきます。

そしてこれがまた現実性を兼ね備えていくというのだから、以前にカントが考えていたような「理性」とは随分違っています。

ヘーゲルの理性の論理学には成長譚があり、歴史哲学があり、生命進化論が含まれているので、論理学と言っても形式論理学が扱えなかった時間の問題を組み入れた妄想の論理学です。

「妄想」といっても、危ない方向に現実化しうるパワーを秘めているのが、ヘーゲル論理学の魅力になっているのだと思います。この怪しい部分を継承したのがマルクスなのでしょう。

いずれにしても、人間が「考える」ということをここまで突き詰めて考えた人はそうはいないでしょう。

「理念は、これをさまざまの仕方で理解することができる。それは理性であり(これが理性の本当の哲学的意味である)、さらに主観即客観であり、観念的なものと実在的なもの、有限なものと無限なもの、魂と肉体との統一であり、その現実性をそれ自身において持っている可能性であり、その本生が現存するものとしてのみ理解されうるものである、等々。なぜなら、理念のうちには理性の相関のすべてが、極限の自己復帰と自己同一においてではあるが、含まれているからである」(212頁)

個々の言葉にこだわり過ぎると頭が痛くなりそうですが、本人の気持ちだけは十分すぎるほど伝わってきます。本当に不思議なテクストです。

(岩波文庫1980年30刷、上450円、下400円)

| | コメント (0)

2013年11月 4日 (月)

ヘーゲル『哲学入門』武市健人訳

ヘーゲル哲学入門として最良の一冊です。

長年愛読していますが、いつ読み返しても感心させられます。

なんてヘンなやつだとか思いながら読んでいます。

概念や理念の話がすこぶる面白いので、本書で理論的な骨格をつかんでおいてから『小論理学』(特に下巻)に進むと、話題がつながっていいんじゃないでしょうか。

でもって、『大論理学』に行く前に『法の哲学』の序文、そして『精神現象学』というコースをたどると、難解と言われるヘーゲル哲学ですが、言わんとするところはわかってくると思います。

『歴史哲学』をその合間に読むと、この人はずいぶんおしゃべりで面白い人だったのではないかということもわかってきます。

理念(Idee)を概念と実在性の統一(206頁)とみることで、壮大な理論体系を作り上げたのは、何ともすごい構想力(というか妄想力というべきか)です。後々「絶対理性」とか言われるとちょっとねー、と思いますが、感心しないわけにはいきません。

(岩波文庫1952年)



| | コメント (0)

2013年11月 1日 (金)

三宅秀道『新しい市場のつくりかた 明日のための「余談の多い」経営学』

副題に「余談の多い」とあるとおりでしたが、その余談にたくさんの商品開発のためのヒントがあって、面白かったです。

かなりおしゃべり好きで、話の上手そうな人という印象の著者ですので、いつか話を聞く機会があったら会場に足を運んでみようと思います。

私も勤務先の入学者減少に歯止めをかけようと、いろいろ考える毎日ですが、本書からは色々と教えられるところが多いです。

大学も新しい魅力のある「商品」を開発していかないと今後生き残っていくことは難しい時代であることは確かですし。

著者によれば、商品開発で「打率」が高い打者というのは、常に商売のネタについてアンテナを張り巡らせているもので、

「潜在的な解決手段に近いところにいて、しかも情に厚い人だと思うのです。そしてさらに、その人が勇気を持ってそのネタを掘り下げることがやりやすい立場にいることが条件のようです」(347頁)

これは本当にそのとおりだと思います。

この反対に、現場を知らず、机上の空論ばかりに長けて、薄情で、決断する勇気がないという、まるで霞ヶ関の殿上人のような経営者がいるとすれば、その会社は確実に潰れますもんね。

(東洋経済新報社2012年2000円+税)



| | コメント (0)

« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »