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2013年11月10日 (日)

聖アウグスティヌス『告白』(上)

以前、この上巻だけ読んでいたものを再読。このあと下巻も目を通します。

アウグスティヌスについては、ちょっと理性というものの理解についてデカルトからさかのぼってみようと思ったからです。

デカルトのコギトは有名ですが、アウグスティヌスについての研究書によって、どこかに「私は、欺かれるなら、存在する」(Si fallor, sum.)という表現があるらしいと知ったからです。

これにはいろいろ面白い問題が含まれていますが、とりあえず読みかけのものから読み直さなければ、と思った次第です。

読んでみると、少なくとも本書にはこの表現は見当たりませんでしたが、それとは別にアウグスティヌスがヨハネ書1.14の「御言葉が肉となった」を様々な角度から考察しているところに興味を覚えました。

考えてみたら、ヨハネ書の「始めに言葉ありき」の「言葉」はデカルトにおいては「理性」だと見ることもできますからね。

デカルトの信仰についてはこれまたいろんな研究書がありますが、アウグスティヌスからトマスを経てデカルトにつながる線は存外はっきりしているのではないかと思いました。

それはそうと、アウグスティヌスはさまざまな女性問題で相当苦労していたんですね。あらためてそちらについても感心させられます。

(岩波書店1976年改訳、1984年第7刷400円)

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