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2013年12月 4日 (水)

島田裕巳『日本人はなぜ富士山を求めるのか  富士講と山岳信仰の原点』

いつものように平易な語り口で重要な問題をいろいろと指摘してくれる本です。

トリビアな知識にもいたるところで感心させられます。読者へのサービス精神のなせる技でしょうか。すぐに他人に受け売りしたくなります。

たとえば、

銭湯に富士山を描くのは関東だけ、それも男湯だけ(53頁)

キリスト教には宗教家が山に登るということがなく、正教会には山岳修行者はあっても、カトリックにはなかった(75頁)
岩などの手の加わっていない自然物が信仰の対象になるのは日本独特の現象(83頁)

火祭もかつてのゾロアスター教を除けば日本に独特の儀式であり、信仰(94頁)

といった感じです。

また、富士山の霊験が新興宗教の成立に関わるところが多いという指摘も興味深いものです。

「新宗教と富士山との関係を見ていくと、そこに登場するのは過激で、世間と衝突することの多い教団ばかりです」(219頁)

というのは、あらためてなるほどなあと思わされます。

そういえば私もパソコンのデスクトップには富士山の写真を置いています。そのせいか年々霊能力がアップしているような気がします(ウソ)。

でも、変な霊媒師なんかよりは人の悪意なんかは見抜けますよ。

もっとも、露骨に変なことをする輩がいるところがそもそも問題なのですが、まさか黒々と燃え立つような悪意がこちらに向けられることになるとは想定外でした。

これは霊能力というより、単純なプロファイリングなんですけどね。

鑑識に出して指紋を検出すれば万全ですが、愚かな犯人をそこまで追い詰めるのが妥当かどうかは迷うところです。紙についた指紋でも10年は消えないので、証拠だけは保全しておきます。

あ、これ、別件の、すでに解決済みの出来の悪いミステリーでした。

本の方はお勧めです。

(徳間書店2013年952円+税)

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