宗教による殺戮の歴史を押さえておくのに有益な本です。
アルカイダやISが宗教的テロリズムを毎週のように行うようになって、イスラム教徒以外の人間はすべて殺すと言われてみたりするとは思いもよらなかったのですが、1997年のルクソール事件を思えば、事実はすでに先行していたのかもしれません。
本書は宗教史的事実を確認し、根拠となっている聖典の記述も丁寧にフォローしたありますので、一連の事情の正確な理解に役立ちます。
多神教徒を殺せと神が命じた箇所も、その前後を見てみると、いつでも皆殺しにしたというわけでないことがわかるように、著者はきっちりと引用してくれています。(94頁)
一神教について、著者は一神教だからこそ神が偏在すると見ています。
「神が偏在するということは、つねに神の存在は意識されているわけで、人の暮らしは神と無関係には成立しない。人の暮らしは神と無関係には存在しない。神は、人の暮らしを見守り、それを守ってくれる。だがそれは、日々神に縛られた生活を送っているということでもある。多神教と一神教とを対比させて考えたとき、この点での違いが大きい。それこそが決定的な差異であるとも言える」(129頁)
これはなるほどと思わされました。多神教というのは神様がたくさんいるようでいて、少なくとも今日の日本人の意識のうちには偏在していないようですしね。
その一神教の神は人間が逆らえばノアの時代の大洪水のようにいつでも人びとを滅ぼすことができますし、カナンの地に住んでいた異民族を全員殺せって命令してくるわけですから、神様の感覚が違い過ぎます。
キリスト教にはゾロアスター教やマニ教の影響で善悪二元論の影響力が影を落としており、これがまた悪魔を全て滅ぼすという動機になってしまいます。
中世ドイツの魔女狩りで犠牲になった人は人口の7%に上ったそうですから、そうやてみると今は統計上ははるかに幸せな、いい時代なのかもしれません。
そもそも、旧約聖書の十戒では殺すなかれと言いながら、他のところでは殺せと命ずる神様ってどうなのという疑問は当然出てきますし、著者は「ユダヤの同胞に対する殺人を禁じたもの」ではないかという仮説を提示しています(219頁)。
なるほどそうかもしれませんが、この辺りはC.S.ルイスが別のことを指摘していたので、今度論文にまとめるつもりです。
(東京堂出版2016年2,200円+税)