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2019年7月28日 (日)

山本七平『小林秀雄の流儀』

本書の単行本が出版された当時、帯に著者が小林秀雄を評して、稀代の聖書読みと捉えていたのを思い出して、文庫版をあらためて読み返してみました。次の引用箇所がそうです。

「小林秀雄がどれだけ徹底的に旧約聖書を読んだか、といったような研究があれば、一度読んでみたいという気がする。彼は大変な『聖書読み』であったに相違ない」(160頁)

小林秀雄と聖書とドストエフスキーの関係を追跡し、丁寧に引用を重ねながら再確認するような展開は著者ならではの接近方法だと思います。実際、小林秀雄はどこかで「ドストエフスキーによって文学に開眼した」と述べていました(『考えるヒント1』でしたっけ、これも確認中)。

実際、ドストエフスキーのようにラスコーリニコフのような壊れた人間を描き出すのも、また、小林秀雄のようにそのことに思想的意味を見出すのも、聖書読みでなければ十分に理解できないところがあります。わが国の哲学者では坂田徳雄先生がピカートやベルジャーエフを読み込んでこられたような仕事です。

この思考法の先にある問題を避けて、自ら墓穴を掘って落ち込んだハイデッガー(と現代思想の有象無象)について、いずれ本にまとめるつもりです。

ところで、本書248頁に日独伊防共協定から軍事同盟と進んでいく1939-40年頃の日本の「ヒットラー熱」についての記述があり、近衛文麿がヒットラーに仮装したりしていたことがわかって、興味深いです。マスコミも相当熱狂していたんですね。今も体質は変わっていませんが。ちなみに小林秀雄は「憎悪のうちにある邪悪なる天才の燃え上がる欲望」という表現でヒットラーを評していました。さすがです。

(文春文庫2015年1220円)

 

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