2017年4月 2日 (日)

師匠の背中を追って

以下は通信教育部のウェブサイトに載せる予定の原稿です。長くなったので、字数制限がかかるかもしれません。とりあえず、こちらに完全バージョンを置いておきます。

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師匠の背中―あるいはフランス思想の特徴について

  

 私の大学院での指導教授は中村雄二郎という哲学者でした。中村先生は西洋哲学における sense の問題を「共通感覚」としてとらえ直し、展開させて来られました。90歳を越えた今も、執筆こそされてはいないものの、変わらずお元気でいらっしゃるそうです。

 中村先生は書斎の中だけで思索するタイプではなく、一時はデザイン事務所を開こうかと思われていたほど絵心があり、実際、ご自身の著作の多くの装丁を手がけられています。また先生は、東京は下町生まれの生粋の江戸っ子で、子どもの頃から東京中の能や歌舞伎、古典から現代演劇まであらゆるお芝居を観て歩いてこられた見巧者でもあります。

 さて、当時の大学院のゼミは毎週土曜日の午後に隔週で英語とドイツ語の文献を読み解いていくもので、私が博士課程に入ってからは午前中のフランス語の文献購読が加わり、一日78時間くらいは顔を突き合わせているような状態でした。もっとも、先生に観劇のご予定があるときだけは幾分早めに終了しましたが。

 ゼミではドイツ語はケルゼン、フランス語はコジェーヴ、英語ではマッキンタイアなどの文献を読んでいましたが、こうした思想書の原典講読を通じて、入念なテクスト読解と議論の仕方を体得していくのは、わが国の人文系・社会科学系大学院の伝統的な方法でした。

 このオーソドックスな授業方式は、授業の前に丁寧に下読みしていくことで、文献読解力が向上することはもちろんですが、原典の理路を丹念に追うことを通じて、著者の緻密な論理展開の方法を体感することができます。そして、その読解作業での先生のコメントを通して、ソクラテス、プラトン以来の西洋哲学の問題を今日の中村雄二郎という思想家がどう受け継いできているのかということについても間接的に教えられることになるわけです。

 中村先生の「共通感覚」という問題もまた、アリストテレス以来のそれを受け継いできたものですが、理性中心に展開されてきたデカルト以降の近代哲学の流れの中ではこのsensus communis の問題は傍らに追いやられてきました。ところが、近代理性中心主義の歪みが意識されてくるにつれて、このsense の問題は現代哲学の重要なトピックとして再び浮かび上がってくるようになりました。

 中村先生のこの問題へのアプローチはパスカル、ベルクソン、アランといったフランス哲学の系譜に連なるもので、実際に先生はベルクソンやアランの本を翻訳されていることもあり、そうした先達の直感的方法については彼らのフランス語と格闘しながら体得されていたように思われます。

 もとよりフランスの哲学者・思想家には、詩人のことばのような印象的な表現を紡ぎ出してくるところがあります。有名なところでは、デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」やパスカルの「人間は考える葦である」といった表現がありますが、哲学の文体もこういう気の利いた直感的表現が連想でつながっているようなものとなります。

 フランス哲学ではときにテクストの思わぬところに重要なことが書かれていることがあり、著者の論理の飛躍にも付き合わなければならないところがあります。同じ西洋哲学でも、論理を丹念に組み立てていくドイツ的な思考法とはしばしば好対照をなしています。

 そうしたフランスの先哲の言葉は読み手の側に強い印象とともに記憶され、脳裏で反復されては、現実の社会の中でことあるごとにその有効性を検証されていくことになります。そして、こうして問題を考え続けていくと、まれに哲学的問題の一見かけ離れた点と点、概念と概念とが結びつくようなひらめきが得られ、それまで予想もしなかった視界が開けることがあります。もっとも、そんな僥倖は年に何度もあるものではありませんが。

 私の場合、ここ何年かは、ベルクソンの「宗教は自然の防御的反作用である」というテーゼと、アランの「社会は強制された友情のようなものである」という表現にほとんど取り憑かれたような状態でいます。最近ようやくささやかな閃きらしきものが得られましたので、その一部は今年の秋に『言葉の創造力―歴史・思想・宗教』という題名の著書を出す予定です。

 ところで、中村先生がよくおっしゃっていたのは、17世紀、18世紀、19世紀からそれぞれ一人の思想家を選び、その著作を生涯何度も繰り返して読むように、ということでした。時代の流行に惑わされそうになったら、そこに立ち戻るといい、とも。そういえば、1980年代にわが国でも流行ったあのポストモダンというかなり浮ついた潮流からも先生は適度で絶妙な距離を取りつつ、ご自身の仕事に集中されていたことが今にして思い出されます。

 さて、不肖の弟子たる私も、この点については師匠の教えを素直に守って、それぞれデカルト、カントおよびヘーゲルを選び出し、今でも折にふれて読み返すようにしていますが、それに加えて当時の中村先生の言葉は、還暦も近づいてきた今になっても何度も脳裏に甦ってきます。ほとんど習慣のようにいつも先生の言葉を思い浮かべては、その言葉と心の中で対話をしながら問題を考えてきたためか、いつのまにか喋り方まで似てきてしまったようです。

 以前、ある研究会で私が発表したとき、研究会の世話人で、同じ中村雄二郎門下の後輩であるI君から、私の口調が先生そっくりだったので、笑いをこらえるのに苦労したと言われたことがあります。師匠の影響は、もはや思想だけでなく、身体にも及ぶようになってきたようですから、まったくもって師弟関係おそるべしです。

 実際のところ、現在の私の研究も、人びとが当たり前と思っている文化や規範のあり方について、哲学的、社会学的、あるいは社会心理学的分析を行うものですので、言うまでもありませんが、これは中村先生の提起された「共通感覚」の問題圏を一歩も出ていません。

 おそらく今後も師匠の背中を追いながらも、ついに追いつききれない自分を思い知らされるのは間違いないでしょう。せめて置いてきぼりにだけはされないように精進していきたいと思っています。


2017年3月 1日 (水)

「ゆるさ」の効用:ハンガリーから「天才」が生まれる理由

以前書いたまま迷子になっていた原稿が出てきたので、とりあえずここに再掲します。
 ハンガリー出身のノーベル賞受賞者は2006年現在で13名を数えます。これは人口比では世界一の数字です。さらには、ノーベル賞受賞者ではありませんが、数学者のJ・フォン・ノイマンやP・エルデシュのような正真正銘の天才を現代世界の様々な分野に送り出してきています。私たちの身の回りを見渡しても、ボールペンやルービックキューブ、ワープロソフトのWordなど、ハンガリー人による発明品がいくつも目にとまります。
 なぜこれほどまでにハンガリーという小国が才能を輩出するのかという、この現代史の謎とでもいうべき問題を取り扱った書物には、古くはL・フェルミの『亡命の現代史−二十世紀の民族大移動』(みすず書房)や、最近ではGy・マルクス『異星人伝説』(日本評論社)といった邦訳もあります。とりわけ後者は「ユダヤとの混交」という節でハンガリー文化とユダヤ人の関係に触れています。
 実際、こうしたハンガリー出身の世界的著名人たちの圧倒的多数が、ユダヤ系ハンガリー人であることも確かです。彼らは19世紀後半に中東欧近隣諸国やロシアから自由を求めてハンガリーに移住してきたユダヤ人たちの末裔です。そして彼らがハンガリー文化を積極的に受け入れた、いわゆる「同化ユダヤ人」であったことも特筆すべき事実です。もしもハンガリー出身のユダヤ人の業績がすべてそのユダヤ性に由来するとしたら、後でみるようにお隣のオーストリアの亡命ユダヤ人たちと同じような性格を持ったものとなったことでしょうが、両者には実際かなりの違いが見られ、それぞれにハンガリー的であり、オーストリア的あるいはブダペスト的、ウィーン的な性格を備えているように思われます。
 後に彼らの一部は、政治的環境の変化のために、より自由な活躍の場所を求めてハンガリーを後にすることになりますが、亡命先のアメリカの原子力開発委員会やハリウッドの映画村においても、周囲の人にしてみると「異星人の言葉」にしか聞こえないハンガリー語を喋り続けては顰蹙を買ったりしています。
 さて、ここで、ハンガリー文化が亡命ユダヤ系ハンガリー人の間でどのように生き続けていたかということについて、一つの逸話を紹介しておきましょう。
 かつて、ノーベル化学賞の候補に推薦されることを拒んで哲学へと転じたというユニークな経歴を持つハンガリー出身の科学哲学者マイケル・ポランニー(ポラーニ・ミハーイ1891−1974)は―拒まなければ受賞は確実だと言われていましたし、もしそうなっていれば、後に受賞した息子のJ・C・ポランニーと合わせて史上初の親子二代の受賞となるところでしたが―、その晩年の死の床にあって、見舞いに訪れたハンガリー人の友人が呼びかけたときには、もはやまともに応答できないほどにハンガリー語を忘れていましたが、そのときでも、若い頃影響を受けたハンガリーの詩人E・アディの詩だけはそらんじることができたそうです。
 ポラーニ家の家庭内での使用言語はまずはドイツ語、ロシア語、ハンガリー語に英語だったので、ドイツやイギリスでの生活が長かったマイケルがハンガリー語を忘れてしまうのも無理はありません。しかし、それだけにこの逸話は、ハンガリー文化が亡命ユダヤ人たちの心の奥底にしっかりと根付いていたことを物語っていると思われます。
 ちなみに、同時代のユダヤ人ということならば、お隣のオーストリアにも、いわゆるウィーン世紀末文化を彩った華々しい才能が集っていました。こちらの才能は明らかにオーストリア文化圏の中で培われたものでしょう。たとえば、トゥールミンとジャニク『ウィトゲンシュタインのウィーン』(平凡社)や上山安敏『フロイトとユング』(岩波書店)といった名著がこの時代の芸術文化と歴史的背景を見事に伝えてくれています。
 このウィーンとブダペストは、同じハプスブルク帝国内の、それほど距離的に離れていない場所にありながら、そこから育っていった才能の一団はそれぞれが全体として極めて対照的な特徴を示しているように思われます。
 ウィーンのユダヤ文化は感覚的に洗練されていて、何者かに抑圧されるかのような重苦しい空気の中で、マニアックなまでに精密かつ繊細な美しさを追求し、重苦しい圧力から自己の内面の解放を企てる一方で、どこまでも律儀に合理的な説明を求めていくといった傾向があるように思われます。
 他方、ブダペストのユダヤ人たちは、ハンガリー人の影響を受けてか、おおざっぱでせっかちで現実的です。一見矛盾するいくつかの要素を意外な仕方でつなげて見せることに秀でていて、合理的説明にこだわるよりも先に、科学的発見・発明の成果を実際に示してしまいます。ウィーン学団の論理実証主義のようにひたすら論理にこだわるようなことは、得意でないというより、ほとんど体質的にうけつけないようにも見えます。
 たとえば、ウィーン出身の哲学者で論理実証主義にも多大な影響を与えたウィトゲンシュタインは著書『論理哲学論考』の最後の頁で「語り得ぬものに対しては沈黙せねばならない」という有名な台詞を残しています。これが、ブダペスト出身のM・ポランニーでは、ウィトゲンシュタインのセリフとは対照的に、人間には「語りうる以上のことを知る能力」がある(『知と存在』)ということになります。同じようなことを言っていても、ポランニーは沈黙せずに、いくつものノーベル賞級の科学的発見をなしとげた上に、これを「暗黙知」という概念で展開させては、哲学者としても積極的な発言をしています。
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 さて、ここで、ハンガリー流に話題を飛躍させて、私なりにひとまずの結論を述べておきましょう。というのも、こういう問題は論証できるものではありませんし、そうでなければ、仮説を提示するという形でしか答えようのない種類のものだからです。
 すなわち、ユダヤ系ハンガリー人たちには、ハンガリー文化の持っている一種の「ゆるさ」が決定的な影響を与えているということなのです。そして、そのことが、彼らの破天荒なまでに自由な発想の飛躍を可能にし、その才能を引き出すことに成功したと考えられるのです。
 ここでいう「ゆるさ」というのは、私たち日本人がハンガリーで生活を始めたときに必ずといっていいほど悩まされる、あの「いい加減さ」と同じものでもあります。ハンガリー人ときたら約束は守らないわ、時間には遅れるわ、とんでもない不注意なミスはするわで、律儀なことではひょっとしたら世界一かもしれない日本人は彼の地でしばしば悩まされるのです。
 私の留学中はまだ社会主義的経済体制だったので、これは社会体制に特有の問題かと思っていたのですが、長年ハンガリーで暮らしている日本人からの情報によれば、このいい加減さは市場経済移行後も健在のようです。近代ハンガリーの行政史といったやや専門的な歴史をさかのぼってみると、これは社会主義の負の遺産というよりは、それ以前からの伝統的なものではないかとさえ思われます。近代化の苦労はいずこも同じですが、このいい加減さは歴史的にも筋金入りといえるかもしれません。
 いずれにしても、これだけいい加減だと、むしろいいこともあるわけで、細かいことに気をつけないということによって、かえって少々のミスは気にしないというおおらかな気風が育ってきますし、こちらのミスも随分と大目に見てくれることがあって助けられたりもします。いい加減さは時には良い加減、つまり心地よさにも通じているのです。
 そして、この「ゆるさ」があるからこそ、身近な友人を大切にし、お互いに信頼しあうという独特の「仲間の集い」 társaság が形成されてきたのではないかと思います。ハンガリーの仲間の集いというのは、気の合う仲間たちがカフェやレストラン、あるいは誰かの自宅のサロンなどに定期的に集まっては世間話を交わすというだけの、本当にのんびりした和やかな会で、そののんびりした空気を味わうためだけに何十年も集まり続けているという習慣です。仲間同士では当然敬語を使わず、年齢が離れていても上下の人間関係ではなく、あくまで心理的に水平の友人関係で話をします。
 他の国のことは知りませんが、この仲間の集いに何度か入れてもらってみると、この習慣はひょっとして他のヨーロッパ諸国にもあまり見られない、ハンガリー独特の文化なのではないかという気がしてきます。ハンガリー人たちは実はひょっとしたらあのウラル山脈の麓で遊牧生活をしていた頃からこうして気のおけない仲間たちが定期的に集っていたのではないかと想像されます。
 それはともかく、この仲間の集いが自分たちの才能を確認し合う場になってきたことは事実です。いくら天才たちといえども、最初からまったく一人きりで活躍し始めるわけにはいきません。彼らが才能を発揮し始めるときには、それを認めて感嘆したり、わがことのように喜んでくれたりする良き観客としての、仲間の存在が必要だからです。
 この「仲間の集い」というハンガリーの美風は―少なくともハンガリー社会に寛容性のある間は―優れた才能を発掘し育てるという点で、世界に向けて偉大な貢献をしたと考えられるのです。
(「愛知県ハンガリー友好協会報」2007年1月号初出に加筆)

2015年9月26日 (土)

シンポジウムの写真

2015年9月16日のシンポジウムの写真です。


三苫民雄「東洋的視点から見たハンガリー法哲学の伝統」

会場:エトヴェシュ・ロラーンド大学法学部

A magyar jogbölcseleti hagyomány keleti nézőpontból - Mitoma Tamio

Posted by Jog- és állambölcselet TDK on 2015年9月25日

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2015年9月21日 (月)

ハンガリー法哲学派についてのノート

 2015年9月16日にブダペストのエトヴェシュ・ロラーンド大学法学部でゲストスピーチをするにあたって、およそこんな話をしようと思って書き留めた原稿です。実際にはこれを忠実に翻訳するのではなく、あらためてハンガリー語で書いたものを元に話をしたので、いろいろと違っているところはありますが、大枠はこんな感じでした。ハンガリー語の原稿ではもっと日本のことも書いているので、あらためてそちらはそちらで日本語に直して載せることにします。

 というわけで以下は準備原稿のそのまた準備という感じです。
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1.「われわれはどこから来たのか、われわれは何者なのか、われわれはどこへ行くのか」
 ゴーギャンの最後の大作の題名である。哲学の問題の根本は普遍的で、プラトン以来の哲学もその根本にある問題はおそらく変わらない。今日でも、人間や社会についてモノを考える人たちは皆この問題を継承してきていると言える。
 この学問的には解けない問題に取り組もうとする人びとはおそらくどの社会でも常に一定程度現れてくると思われる。

2.かくいう私もそうした若者の1人だった
 さて、私も何時の時代にもいる哲学青年の一人で、西洋哲学の古典から当時日本でも次々に翻訳が出されてきていたポストモダンの哲学までを読みあさっていたこともあり、法哲学・法社会学・法思想史の分野を大学院での専攻に選んだ。
 大学院入学当初はデュルケームやモースからレヴィ=ストロースへと連なる構造主義的な社会理論に興味を惹かれ、フランスへの留学も考えていたが、そのころ日本のポラニー派の草分けでもあった栗本先生が、カール・ポランニーの先生にピクレル・ジュラという学者がいて、面白そうなので調べてくれないかというお願いとも命令ともつかない助言をもらったのが、私のハンガリー研究のきっかけとなった。
 当時、ポランニーにも興味を持って、その著作をひと通り読んでいたのと、学部の頃から栗本先生の授業にも出ていたこともあって、私の中ではそれほど違和感なくこの提案を受け入れることになったのだが、あとから聞いた話では、栗本先生はいろんな大学院生にピクレルをやらないかと声をかけていたそうで、その中で私だけがただ一人この話に乗ったということだったらしい。
 しかし、当時栗本先生の紹介で、たまたま日本に国際会議で来ていたポランニーの娘のカリ=レヴィット・ポランニーや共同研究者のエイブラハム・ロートシュテインを紹介されて、秋葉原や新宿を案内したり、哲学者のベンツェ・ジェルジュと一緒に京都・奈良を案内して回ったりと、貴重な経験をさせてもらった。
 ハンガリーを最初に訪れたのは1985年の3月で、この時、ベンツェからナジ・エンドレを紹介された。エンドレからは色々とアドヴァイスを受け、資料収集の便宜も図ってもらって、本当に助けられた。

3.ピクレル・ジュラからショムロー・ボードグあるいはハンガリー法学派
 このとき集めた文献や資料を読んでいくうちにまずわかったことは、ピクレルの理論はかなり極端な心理主義で、自然科学的アプローチを徹底させたものだということと、肝心のポランニーには少なくとも理論的にはほとんど反面教師としての影響しか与えていないことだった。
 もう一つのもっと重要なことは、ハンガリーにはそのピクレルとさらにその師匠のプルスキ・アーゴシュトに始まる法哲学の知的鉱脈があることで、特にショムロー・ボードグはコロジュヴァール大学でのポランニーの指導教官で、ポランニーにも影響を与えた可能性があることがわかった。
 というわけで、このときから、ショムロー・ボードグを中心に論文をまとめることにして、1989年にELTEのBTKに博士論文を提出した。
 私が特に集中して読んできたのはプルスキから、ピクレル、ショムローまでだが、その後のモール、ホルヴァート、ビボーも含めて、彼らが取り組んできた問題とそのアプローチは法および社会現象を考えていく上で重要な問題提起を含んでいる。
 思うにおそらくはどこの国の研究者もこの点に関しては事情は同じで、先人の業績を読み込んで自分の考えを紡ぎだすことに取り組んできた。
 プルスキとピクレルはイギリス経験論哲学、ショムロー以降はカントあるいは新カント派法学あるいは社会理論としては、H.S.メイン、ベンサム、ハンス・ケルゼンといった思想家の著作を読み込みながら、自身もまた新たに質の高いテクストを残している。
 この点については特に今日のゲストのお二人にフォローをお願いしたい。
 なお、このハンガリー法学派については、特にショムローやホルヴァートの業績は第二次世界大戦前の新カント派の流れを汲む我が国の学会でも紹介されていた。(なお、ヴァシュ・ティボルの小著『先験的法哲学』の翻訳もあるくらいである。)

4.私自身の研究
 さて、本来なら私もホルヴァートやビボーの著作をじっくり読み込んで、この続きを考えていくとよかったのだろうが、留学から帰国してしばらくして定職についたところが法律の専門学校だったため、ハンガリーの法哲学ではなく、日本の民法や行政法を教えることになり、7〜8年ハンガリー研究からは遠ざかってしまった。
 その後短大に職を得て、再び研究に時間を割くことができるようになったのは幸運だったが、実は専門学校で実定法の解釈学を教えた経験もまた、法哲学や社会理論を考える上で視野を広げることになり、よかったと思う。
 研究時間が十分に取れない中で、少しずつ自分自身の考えをまとめた本を出すようになり、法と社会理論に関する著書は行政法の教科書を含めると今年で7冊目を数えるようになった。
 実はこの一連の本を書くときの問題意識が、ショムローのJuristische Grundlehre(1917)とGüterverkehr in der Urgesellschaft(1909) に共通するもので、法や社会現象の背後にあって、これを成り立たせているメカニズムの解明ということである。
 これは法学と言うよりは社会学的な構造理論で、1909年当時はモースくらいしか理解せず、1917年には本の出版の手引きをしたはずのケルゼン自身が、純粋法学の立場から批判している概念であった。これを戦後、構造主義が引き継ぎ、共鳴する形で発展させたということができる。また、これは同時に、ポランニー経済人類学の「統合の三形態」とも親和性の高い理論でもある。
 この考えは、ショムローに先立つピクレルの『客観的信念の心理学』(1890)においてもすでに見られる視点である。そこでは人びとの信念が形成されるということへの心理学的アプローチが試みられているが、これは経験論的哲学の流れの延長上にあるユニークな心理学であると同時に、欲望の社会学へと展開する可能性を秘めた議論でもあった。
 こうして若い時に読んだピクレルの心理学とショムローの構造主義的社会理論から無意識の影響を受けているため、ハンガリー研究をまとめた本以外の研究は人間社会をその根底で拘束し、動かしている文化や規範の無意識のシステムが対象となって現在に至っている。
 私が今年出した本は社会心理学的アプローチをとって、人間の間違いを積極的に受け入れて、イノヴェーションにつながる可能性を探ることと、そうした発明・発見が可能な自由な社会、多くの文化を異にする人々が行き交う交差点のような社会へ向けた制度設計を提起するものとなっている。
 私が影響を受けた知的リソースはおそらくハンガリー法学派の半分に過ぎない。ショムロー以降のモール、ホルヴァート、ビボーといった貴重な知的資源については十分消化しきれていない。
 しかし、これは今ここにいらっしゃる仲間や若い皆さんこそ取り組んでいただきたい。
 伝統的な法解釈学や政治学との関わりが一層強まる印象のあるショムロー以降のハンガリー法学派の系譜については、今後再び個別専門的に法哲学の理論研究を進めることがあれば、また改めて取り組みたい。

5.西洋哲学の異質性
 この話の最初に、哲学の根本問題は普遍的だと述べたが、それは西洋哲学、特に伝統的形而上学のアプローチが普遍的だということを意味してはいない。
とりわけデカルト以降の近代哲学はキリスト教的背景のもとに発展していったため、日本の文化的伝統からすると、極めて異質なものとなる。
 日本の場合は基本的に宗教的慣習や儀礼的空間の中にいるため、自らは「特別な宗教を持たない」と言いながら、無神論者ではなく、文化的・宗教的に均質な空間の中で、おそらく古代からの宗教意識を「無意識的に」保持した生活を送っている(他方でキリスト教徒は総人口の1%未満)。
 この独特の宗教的空間は、結果的には日本人のいわゆる集団的行動パターンを規制している。かく言う私も栗本先生のお願いとも命令ともつかない指導に従ってきたのだから、その例外ではない(そういえばロートステインは「封建的だよね」と感想を漏らしていた)。
 こういう閉じられた宗教空間では、絶対価値あるいは唯一絶対神の存在を前提とした西洋形而上学の「存在論」は基本的に異質なもので、ついでに言えば、近代市民社会の「法の支配」も形は整えられてあっても、その適用は全く別のものになる。
 こういう知的・社会的風土では、実は近代の理性中心主義的哲学よりも、それをときには(ハイデッガーのように)ギリシアの伝統にまでさかのぼって批判するようなポストモダン哲学が結果的に理解されやすいことになる。
 今日の価値観の崩壊しつつある社会を、あえて難解な概念で飾るポストモダン哲学も日本ではほとんど翻訳されており、そのペシミスティクな結論もそのまま受け入れられやすいという奇妙な共鳴関係が成立する。
 例えば「存在」の哲学ではなくて、「生成」の哲学が必要だといわれると、実は日本の社会は、誰が決めたわけでもなく命じられたわけでもないのにあるきっかけ(明治維新)で何かに突然「変化してしまう」というようなことが歴史の中に何度も繰り返して生じてくる傾向がみてとれる。
 しかし、ここで置き去りにされた価値や道徳の問題は今後どうやって回復できるのかとなると、また、別に問題を立てなければならない。
 私自身の研究の出発点に帰ってみると、そこであらためてホルヴァートやビボーの考えていた問題につながってくるのかもしれないが、このことに関しては他の論者にも意見を伺ってみたい。
                       以上

2015年9月 2日 (水)

西洋近代哲学の説得力とそのキリスト教的背景

最近まで書いていた論文の冒頭ページです。無事掲載されれば日の目を見ます。

英文はネイティブチェック済みです。

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近代西洋哲学の説得力とそのキリスト教的背景

三苫 民雄(愛知産業大学短期大学)

The persuasiveness of modern Western philosophy
and its Christian background

Tamio MITOMA(Aichi Sangyo University College)

 Modern rationalist philosophy was established by Descartes (1596–1650) and completed by Hegel (1770–1831). Although the rationalist philosophy eliminates God from itself and makes it possible to do without God in principle, modern philosophers including Kant (1724–1804) were devout Christians in their daily lives. They all had acquired their philosophical ideas and theoretical basis from their belief in God. However, this is ironic: the more systematically completed rationalistic philosophy, the less persuasive its Christian features become. Instead of Christian belief, the philosophy of Kant was supported by the physics of Newton, and Hegel’s philosophy was supported by the French Revolution. While modern rationalist philosophy made human reason transcendent, the human being as subject encountered the problem of modern anxiety described by Kierkegaard (1813–1855) and Nietzsche (1844–1900).

 梗概−訳

  [近代理性主義哲学はデカルトが打ちたて、ヘーゲルが完成させた。合理主義哲学は原理的に神を排除し、神なしでやっていけるものでありながら、実際にはデカルトもヘーゲルも(それからカントも)みな敬虔なキリスト教徒であり、その哲学理論の着想と理論的基礎は神への信仰から得られていた。しかし皮肉なことに、理性主義哲学が体系的に完成されていくにつれて、キリスト教のもつ説得力は薄れていく。カント哲学ではニュートン物理学、ヘーゲル哲学ではフランス革命が、それぞれの理論に説得力を与えている。近代理性主義哲学派人間の理性を超越的なものとした一方で、主体としての人間はニーチェやキルケゴールのいう近代の不安という問題を抱えることになる。]

キーワード: 近代理性主義哲学、説得力、キリスト教、デカルト、カント、ヘーゲル 

Key words :  modern rationalist philosophy,  persuasiveness,  the Christianity,  Descartes,  Kant,  Hegel  

2015年8月12日 (水)

学会発表予稿:社会科学の対象について



共観的コミュニケーション -社会科学の対象について-


三苫 民雄(愛知産業大学短期大学)


Synoptical Communications
- On Object of Social Science -


Tamio MITOMA (Aichi Sangyo University College)


キーワード: 社会科学の対象、 社会構造、 コミュニケーショナルな事実、 共観
Key words ;  Object of Social Science,  Social Structure,  Communicational Facts,  Synoptic


問題


 われわれは日々の生活の中で常に「事実」をもとに意思の疎通を図っている。自身の解釈を通して見たある出来事を瞬時に他人との共有し、これを話題に乗せ、議論したりしている。この事情は学問の世界でも同様で、まずは対象としての「事実」が共有され、確定されていなければ、研究というものは成立しない。
 しかし、物質や自然現象を扱う自然科学と違い、社会科学や人文科学は「社会」や人の心の中を対象とするため、これを物質のように別個に対象として取り出して観察することができないという困難がつきまとう。
 19世紀から20世紀にかけて発展してきた社会学や心理学は、この学問的方法論との付き合いも長きにわたり、その方法も洗練されてきているが、同時にこの分野に固有の問題をも見出してきた。フランス構造主義以来の現代思想の流れの中でも、潜在的な社会構造や無意識、あるいは集団的主体性という形でこの問題は受け継がれてきた。
 本報告ではこの一連の方法論と思想的な流れを概観するとともに、この問題提起を踏まえながら、社会科学の対象である「事実」を特定するための共観的視点をあらためて確認したい。


考察


1. 近代科学の方法
 近代科学の核心となってきたのは、次のような数学的思考法である。


「基本的な自然現象の知識を、数学に翻訳すると、あとは数学という人類の頭脳を使って、この知識を整理したり、発展させたりすることができる。したがって、個人の頭脳ではとうてい到達し得られないところまで、人間の思考を導いていってくれる。そこにほんとうの意味での数学の大切さがある」(中谷1958)


 近代科学の発展は、神ではなく人間が作り出した、思いのままに動かすことのできる自動機械のようなイメージに支えられている。実際に便利な機械や有用な技術が開発されることで、近代科学の発展は加速し、今日の近代科学文明へとつながってくる。


2. 「もの」のように
 社会学の開祖、フランスのオーギュスト・コント(1798−1857年)は、自然科学の持つ仮説と実験・検証の往復運動に含まれる「予見」の力を活かそうとして、いわゆる実証主義的方法を提唱した。これは歴史の発展段階の中で来るべき人類社会のあり方を予見しようとするもので、そこでは社会は類型化され、発展段階という時間枠の中でとらえるという動態的な形(三段階または三状態の法則)で対象化されていた。
 この理論は「社会とは何か」という社会認識論の議論としては不十分なところがあるため、フランスで社会学を大学の正規の講座に昇格させようと努力していたデュルケーム(1858−1917年)は、その方法論については19世紀の自然科学に範を求め、社会を自然科学における「もの」すなわち社会的事実として取り扱うことを提唱する。
 コントにもデュルケームにも共有されているのは、社会というものが個人の単なる算術的総和ではなく、ひとつのまとまりと力をもつ何らかの存在であるということである。


3. 構造主義
 これも20世紀のレヴィ=ストロースあたりになると、議論が洗練され、自然科学的方法との間の距離もとられるようになってくる。


社会科学に特殊の状況は、これ[物理学]とは別の性質のものであって、それは、対象が同時に客体でもあり主体でもあるという、もしくはデュルケムとモースの語法でいえば、対象が同時に「もの」であり「表象」であるという、社会科学の対象に内在的な性格から由来するものである。・・・[中略]・・・しかしながら、歴史の証するところによれば、科学が満足すべき科学であるためには、かくも徹底する必要はないし、また、対象に固有の諸特質—人が説明に務めるのはこれのみだ―と、主体の機能であるような別の性質―その考察は放置することができる―との区別がとりわけ固定的ではないのをよいことに、この区別を回避したまま、科学は数世紀の間、(それがいつ目標に達するのかは、われわれにはわからないのであるから)場合によったら数千年もの間、対象の認識で進歩をなしうるのである。


乗りこえがたき二律背反を宣告されているかにみえる社会学的観察は、主体の、自己を限りなく客体化(対象化)しうる能力ゆえに、この二律背反から脱出するのだ。この自己客体化とは、(けっして主体としての自己を放棄するにいたることなく)自己の常に減少する諸部分を、外部へと投げ出すことである。[自己客体化という]分割には、それが可能である条件として常に[主体、客体の]二項の存在を意味しているということを除いては、限界はない(レヴィ=ストロース1974)。


 物理学での観察者は次々と観察対象に含まれるため客観性が担保されないという自然科学的方法の矛盾が、社会科学ではむしろ利点になるという議論になる。観察主体についての考察を放置することによって、その対象認識だけがいつまでも進歩しうるという理由は示されていないが、社会科学には独自の方法があるのだという気持ちだけは伝わってくる。
 社会科学が独自の方法を要請する背景にはそれなりの根拠があり、それがコント以来意識されてきた社会というものの実在性である。そして、構造主義はほかでもないこの点に注目している。
 構造主義的アプローチでは、それまでの平面的で直線的な社会現象の理解が、重層的で複眼的なものとなる。構造主義では以前と同様に科学的方法を用いても、現象として目に見えているものの背後あるいは根底において、その法則=構造全体を支配する何ものかがあるという見方をするようになる。


4. 無意識
 こうした構造主義的アプローチは現代思想の一つの潮流を作ったが、その先駆的な業績に位置づけられるものとしては、たとえばマルクスの上部構造・下部構造の議論、フロイトの無意識の発見、さらには言語学のソシュールの構造主義的アプローチなどがあげられる。中でもとりわけフロイトの理論は、人間の心理というとらえにくいものを解析するための大きな手がかりを与えてくれた。
 フロイトは無意識(あるいは下意識)から人の心を読み解く方法を見出したからである。
 人間の「錯誤行為」についてフロイトはこう述べている。


われわれは現象をただ記述したり分類したりしようとしているのではありません。現象を心の中のいろいろな勢力の角逐のしるしとしてとらえること、すなわちときには協力し、ときには対抗しながら、ある目的を目指して動いているもろもろの意向の現われとみたいのです(フロイト1971)。


 この「心の中のいろいろな勢力」をとらえる理論が「人びとの気がつかない構造と力がある」ということだけなら、科学的な仮説の一種にすぎないが、構造主義はその「力」の部分に神話や物語のもつ説得力を加えている。つまり、 いまここにある出来事のあり方にかつて影響を与え、いまもそれを支配し続けている闇の力あるいは陰の力という語り口は、かつての原始共同体において物語や神話の果たしてきた役割を担っているように見える。


 構造主義は遠近法的に現実を浮かび上がらせるだけでなく、物語=歴史的時間により、人類の来し方行く末を象徴的に語ってもくれる。語る内容が単なる現状分析にとどまらず旧約聖書の預言者的な語りになるところに、抗いがたい魅力と怪しさが同居している。


5. 予言から呪術へ
 構造主義の後に脚光を浴びたフランスのポストモダンの思想家たちは預言者的口ぶりに呪術的な文言の難解さを加えた感がある。実際このころから、思想家であることは「時代の英雄」とまではいかないにしても、マスメディアの発達とあいまって著名芸能人のような注目を集めるようになってくる。
  この手のスターたちには、わざと難解で思わせぶりな書き方をする著者が多いのが特徴で、とりわけフランスでは、自分でも何を言っているかわからないくらいの文章を綴ることで、深い思想を有する英雄として評価されることになる。
 哲学者ジョン・サールの「なぜそんなに曖昧に書くのか」という問いかけに対して、ミシェル・フーコーは「フランスでは少なくとも10%は意味不明に書かなければ、単純で幼稚だとみなされてしまう。人びとはまじめに受け取ってくれないし、深さがないと思われる」と答えている。さらに後にこの話を聞いた社会学者のピエール・ブルデューは「その話は絶対的に正しいけれど、10%どころかもっとだ。理解不能でなければ、フランスの人びとはまじめに取り合おうとしない」(Faigenbaum 2003)と応じている。
 愚かな振る舞いには違いないが、これが流行として世界中に広がり、後に「ソーカル事件」を生み出す土壌となる。


6. 集団的主体性
 こうした愚かな傾向にもかかわらず、人間の「社会」のもつ独特のまとまりと力の実在は社会学者や心理学者の関心を引き続けてきたし、今日でも心理学や精神分析学が社会理論に大きな示唆を与えてくれることは少なくない。
 このことを示す例として、以下に、ワイツゼッカーの「根拠関係」という概念についての木村敏による記述をとりあげてみたい。


物理学の前提は認識する自我がひとつの自然に対置されているということである。その場合自然は認識の対象となる。物理学に向かって回答可能な質問を提出することはできるが、自然の全体を作ったのは誰かという質問だけはできない。これに反して生物の場合には個々の個体すべてについて、それがどのように生成し、存続し、消滅するかが理解できないということになる。その理由はわれわれ自身が一個の生物だからであり、またわれわれが一切の生物ともどもに、その根拠自体は認識対象となりえないような依存関係の中にあるからである。生物が認識できないというのではない。われわれ自身と他のあらゆる生物の根拠が認識できないというだけである。それは、われわれと他のあらゆる生物がこの根拠への依存関係の中にあるからである。(木村2005)


 われわれが純粋な観察主体になりえないのは、生物としての人間が身を置いているからであって、その生物としての自らが入り込んでしまっているところが、この「根拠への依存関係」すなわち「根拠関係」である。


 ヴァイツゼッカーのいう「根拠関係」のうちに身を置くならば、個々の個体のみが生きているものだなどとは到底言えないことになる。根拠関係によって連帯している集団にとっては、各個体の主体性よりも高次の主体性をおびてまとまった行動を示す集団全体こそまず第一に「生きている」ものなのである。言語機能と自己意識を身につけてしまった人間にとっては、このような集団的主体性は多くの場合、個人的主体性との間に矛盾や衝突を引き起こすことになるだろう。個人主義の立場から全体主義が批判されるのもそのためである。しかし、好き嫌いは別として、人間においてもそのような集団的主体性が ― たとえ個人意識によって隠蔽されても決して消滅することなく ― 働いているという事実だけは認めなくてはならない(木村2005)。
 ここで木村敏が「集団的主体性」という概念を通じて言おうとしていることは、個人の真理に還元できない意識の働きであり、ここで問題にしてきたところの、社会における曰く言いがたい集団的な力のことにほかならない。


9. 共観的主体のあいだ
 社会科学の対象がそうした固有の実在性を持つ社会的事実であることは確かであるにしても、今日もなお、観察主体の無限背進という矛盾が理論的に解決されたわけではない。ただ、社会科学の方法論的な独自性については、この主体・客体関係を踏まえつつも、幾分異なる角度から論じることができる。
 もとより古典的な自然科学においては、実験観察者と実験対象との間に主体と客体という関係が成り立って初めて実験が成立する。反証が行われる場合も新たに観察対象と観察者とのあいだに主客の関係が生れ、そこがまずは客観性の成立する場所だということができる。
 他方、社会の観察者が純粋に客観的な立場を確保できないとしても、そのこと自体、社会科学においては、それほど悩ましいことではない。というのも、社会科学では客観的な社会という対象が、観察者自身を含んでいるだけでなく、その対象の存在を同一のものとして観察し、確認する第三者、あるいはその存在を知らしめる説得相手としての第三者の存在も含んでいるからである。
 つまり、対象を特定する前に、第三者との間で〈共観〉という行為ないしは意識がなければ、そもそも「社会」というものは存在できない。社会という形のないものは、人びとの間での共観と意思疎通の中で初めて成立する性質のものだからである。
 このとき、観察対象としての社会を自然科学的な「物」のように扱おうとするデュルケームの方法を継承すると、観察主体と観察対象との1対1の対応関係で考えざるをえなくなってくる。
 そうすると、レヴィ=ストロースのように、客観性を担保するために無限に対象化するなどという自然科学でも実際にはできないようなことをいわざるをえなくなる。
 しかし、対象を認識する際にいわゆる第三者の視点を導き入れると、少なくとも社会というものの認識については、人びとの間で納得の行く地点にとどめることができるようになる。
 例えば、ニューヨークという街を私は訪れたことはないが、ニューヨークがあることを当然のように受け入れています。「ある闇の組織が私を(含め全世界を)騙そうとして世界中の報道機関や教育機関に働きかけ、本当は存在しないニューヨークという街を、あたかも実在するかのように見せかけている」などといった陰謀論を信じたりはしない。新聞やテレビの報道、小説や映画の舞台設定、現地に足を運んだ友人との会話などから、私はニューヨークの実在を信じ、疑っていない。
 また、自分の経験の範囲外にある歴史的事実についても、教科書に採用されているような史実は基本的に受け入れている。もちろん、新たな事実が発見されて、歴史が書き換えられるようなことがあれば、またそれはそれで受け入れる準備はある。
 歴史学の分野では小田中直樹がこのあたりの事情を適切に表現している。


「今朝のニュース、すごかったねぇ」「うん、すごかったよねぇ」なんてかたちで二人に意見が一致するというのは、ぼくらの身の回りではよくあることです。それもまったくのすれちがいになることなく。
 ここからわかるのは、ぼくらは認識の正しさをめぐる判断を(ある程度)共有する力をもっている、ということです。ちゃんと意見を交わし、必要なら議論をしてゆけば、うまくすると、「この認識は、絶対的な根拠はないかもしれないけれど、わりと正しいんじゃないか」という意見を他者と共有できるかもしれません。コミュニケーションのなかで決まる「コミュニケーショナルに正しい認識」は存在しているのです(小田中2004)。


 小田中のいう「コミュニケーショナルに正しい認識」は歴史認識だけでなく、社会科学の対象についての議論にも当てはまる。「社会」は構造主義が仇敵とみなしてきた「超越的な主体」(=神)によって認識されるのでないとするのはいいとしても、主体と客体の構造を残したままの無限ループの中で神秘的・呪術的に特定されるものでもない。
 ここではさしあたり「社会」とは、共観的主体の間、すなわち、〈共に観察し、語り合う人びとの間に存在するもの〉であり、日々のコミュニケーションの中で確認されていくものということにしておきたい。
 なお、ここでいう「共観」 Synopsisという概念は法社会学者のB・ホルヴァート『法社会学』(Horváth, Barna, Rechtssoziologie, 1934, Berlin-Grunewald. )が用いたものであることを付け加えておく。ホルヴァートはたとえば、村人が日々の生活の中で教会の時計を見るともなしに見ているような状態を「共観」と呼び、この共観概念を手がかりに共同体の規範意識を分析している。人びとが共に見るという行為それ自体にすでに、存在と当為の両方の性格をあわせもつ社会的事実というものが含まれているのである。


引用文献


中谷宇吉郎(1958). 科学の方法、岩波新書、121.
レヴィ=ストロース(1974)、「マルセル・モースの業績解題」(『社会学と人類学』への序文)
 清水昭俊・菅野盾樹訳『アルク誌 マルセル・モースの世界』足立和浩他訳、みすず書房. 224-226.
フロイト(1971)、フロイト著作集第1巻、人文書院. 53.
Faigenbaum, Gustavo. (2003). Conversations with John Searle, LibrosEnRed, 162.
木村敏(2005)、生命のかたち/かたちの生命、岩波書店、15., 48.
小田中直樹(2004)、歴史学ってなんだ?、PHP研究所、79.

2015年5月31日 (日)

ハンガリー調査旅行2015

今年も幸運な科研費のおこぼれで9月にハンガリーに2週間ほど行けることになりました。

共同研究者たちが皆校務に振り回されている中で、私の方はたまたま9月に時間がとれましたので、昨年に引き続き1948年頃の大学法学部のカリキュラムなどを調べてくることにしました。

ありがたいことです。

昨年来法学部にも友人が出来ましたので、法学部図書館にも入りやすくなりました。

こういう機会をもらうと、自分が歴史家の端くれのもっと端くれでもあったことに改めて気付かされます。

大学の非常勤で歴史学概論を教えているのも無理筋ではないと思うことにしておきましょう。

そちらについては別のブログ「歴史学概論の実況中継」を御覧ください。

このところリアルの講義にようやく追いついてきました。

写真はブダペスト大学法学部の入り口です。昨年9月1日の入学式の日に撮影したものです。

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以下は法学部図書館です。ここにこもる予定。

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2015年5月18日 (月)

歴史学と説得学

私が所属する日本説得交渉学会の学会誌に論文を寄稿することになりました。

ちょうど4月から書き始めたブログ「歴史学概論の実況中継」で、歴史学概論の講義内容を綴っているところですが、その中で歴史学および歴史というスタイルの持つ説得力について、いくつかの気づきが得られたので、これを論文にまとめようと思っています。

10月10日の学会発表も、予稿集の原稿を準備しなければなりませんが、これは別のテーマで行いますので、今回の論文は歴史の方法論に関わるテーマが中心となります。

今回とりあげる哲学者はヘーゲルになります。

ヘーゲルの歴史哲学は歴史学者からも哲学者からも警戒されてなかなかまともに取り上げられませんが、丹念に読んでみるとやはり面白いですね。大胆かつハチャメチャなところもあって驚かされます。

ヘーゲルの『歴史哲学講義』を読むのは岩波文庫の長谷川宏訳に先立つ『歴史哲学』(武市健人訳)と合わせると三度目になります。本書に関しては昔の訳でも悪くないと思いますが、論文を書くときはやはり原書を繙く必要があります。


ヘーゲルの文章は文法的には難しくないのですが、何を言おうとしているのかわからないところがあり、その内容でしばしば悩まされます。

まあ、覚悟して臨みます。

2015年1月 6日 (火)

イノベーションとジョーク

今書いている本から、ジョークとイノベーションの関係について論じているところをご紹介しておきます。

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ヨハンソンによると、創造のプロセスが笑いのプロセスと似ていることは、ハンガリー出身の作家、A.ケストラーが指摘していたことだそうですが 、確かに、異なる概念を組み合わせることによって新たな概念を生み出すところは、ジョークの仕組みと似ています。
 ケストラーは著書(『創造性』)の100頁以上を費やして笑いと創造の関係を分析していますが、あまりにも真面目に論じられている上に、そこでとりあげられているジョークもそれほど面白くないので、他(ジェレミー・タイラー)からとってきた短いジョーク をいくつか挙げてみましょう。

 犬が逃げちゃったんだ。
 新聞広告を出したらどう?
 何言ってんだ。犬は新聞読めないだろ!

「僕は今まで思い上がっていたけど、今はもう完璧だ!」

(父が息子に)
「お前、話を大げさにするなって、何百万回言わせるんだ!」

 すべてを手に入れた人に何を与えますか?
 同情心です。

(医者と患者)
 先生、私、ずっと自分が犬になったような気がしているんですが…
 いつからそう感じるようになったんですか?
 子犬のころからです。

(医者と患者)
 先生、私、ずっと自分が犬になったような気がしているんですが…
 では、診察台に横になってください。
 台には上がるなって言われているんです。

(2人の男が一緒に通りを歩いていて、一人が急に立ち止まります)
 なんてこった、妻と愛人が話をしている!
 ええっ! それは僕の台詞だ!

 このように論理をずらすことや、会話のやりとりから思いもよらなかった事情や滑稽なイメージを連想させるところがジョークの面白いところですが、その仕組は異なる概念を新たに結びつける行為と重なってくるところがあります。
 したがって、「交差点」となるべき場所が、たとえば産業界の未来がかかっているからといって、冗談の一つも言えないような、生真面目な真理追求の場とかいったものになってはいけないことがわかります。
 なお、このついでにサットン(「マル上司、バツ上司])による毒の効いた切り返しのジョークもご紹介しておきます。もっとも、使い方次第では友だちがいなくなるかもしれませんので、ご用心ください。

— ほかのみんなもそうしてます。これがこの業界の標準なんですよ。
— だったらクソを食えよ。ほかのハエもみんな食ってるぜ 。

2014年12月30日 (火)

ハイネのルター解釈

 今書いている教科書からの抜粋です。
 ハイネの引用したルターの発言がそのままの形では見つからないのですが、むしろここまでルターの意図を読み込んだハイネのルター解釈の深さに驚かされています。ハイネの『ドイツ古典哲学の本質』は個性的な名著だと思います。

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17世紀のデカルトに先立って理性の重要性を強調した最初の人は、おそらく宗教改革の指導者、マルチン・ルター(1483-1546)です。ルターが人は信仰によってのみ救われるという、いわゆる信仰義認説を唱えるとき、その手がかりになるのは聖書の言葉とそれを解釈する人びとの理性です。

 この意義を詩人ハイネは次のように表現しています。

 

ルターが「諸君は聖書そのものにより、あるいは道理にかなった理由によって余の説に反対すべきである」という言葉をはっきり述べてから、人間の理性に聖書を説明する権利がみとめられるようになり、その理性が宗教上のすべての論争の最高の審判者とみとめられることになった [i]

 

 この引用では孫引きになるので、ハイネの創造が加味されている可能性がありますので、ルター自身の著作から適切な言葉を引こうと思うと、案外いい表現が出てきません。それでも、いわゆる『95箇条の論題』の18には、「煉獄にある魂が、功績やいわゆる増加する愛の状態の埒外にあるということは、理性によっても、聖書によっても証明されていないと思われる」[ii](下線筆者)とあります。

 また、『キリスト者の自由』に第18においては、キリストに対する信仰が呼び覚まされるのは律法や行いではなく、正しい説教が「私に語られ」「理解されたとき」[iii]であるという表現があります。

 こうしてみると、むしろハイネのルター解釈の深いことに感心させらずにはいられません。このこだわりの読解こそがドイツ古典哲学の本質につながるものなのかもしれません。

 


[i] ハイネ『ドイツ古典哲学の本質』伊東勉訳、岩波文庫、 71

[ii] Martin Luther’s Greatest Works (Kindle Preferred Active Toc)

[iii] マルティン・ルター『新訳 キリスト者の自由・聖書への序言』石原謙訳、岩波書店、195531頁。

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