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2013年4月24日 (水)

ピクレル・ジュラ 1

ピクレル・ジュラ(1864-1937)はハンガリーの法哲学者で、19世紀末から20世紀初頭にかけてハンガリーでは流行の思想家でした。政治的には市民急進派で、ブダペスト大学の学生の間では絶大な人気を誇っていました。

ピクレルは、法や社会制度は人間の合理的認識の産物(にすぎない)と主張し、トーテミズムのような一見奇妙に見える制度であっても、当時の人々の合理的思想に裏打ちされている、と述べます。

したがって、社会はこれまでの因習にとらわれずに、合理的な社会変革を起こすことが可能になると、当時の学生たちは理解したわけです。

ピクレルの哲学的な立場はD.ヒュームやE.マッハの流れをくむ経験論で、マッハとは個人的に手紙もやり取りしていました。

ピクレルは当時、国際的には哲学的認識論や心理/生理学的研究でその名を知られており、英語やドイツ語での著作もあります。20世紀に入ってからはもっぱら心理/生理学的研究に携わるようになりますが、大学の講義では法哲学を担当します。

そこでのピクレルの、因習を打破すべしという内容の講義は、当時の宗教的右派の学生たちからの妨害を受けたりしましたが、そのとき、ピクレルを守ろうとして結成された学生サークルが「ガリレイ・サークル」です。

当初このサークルはピクレル・サークルとなる予定でしたが、ピクレル本人の要望により、ガリレオ・ガリレイの名前を冠することにしました。宗教勢力に対抗して「それでも地球は回っている」という言葉を残したガリレイにあやかってのことでした(ケンデ・ジグモンド)。

ガリレイ・サークルの初代委員長にはポラーニ・カーロイ(カール・ポランニー:1886-1964)が担ぎだされます。サークルを正式に結成する前に、学内の右派学生の講義は沙汰止みになりましたが、サークルは外国の哲学者・思想家の著作の読書会を開くなどの活動を中心に継続していきます。

カール・ポランニーがマッハの著作『感覚の分析』の序文を翻訳・出版したのも、このサークルの活動資金を得るためだったと訳者序言で書いています。

このポランニーの先生だったからということもあって、栗本先生は、このピクレルという思想家を調べてみないかと勧めてくれたわけです。当時の大学院の先輩なんかにも話をもちかけていたようですが、この話に乗っかったのは、結果として相当に物好きな私だけだったというわけです。

ただ、学部の頃から栗本先生の法社会学を履修して、ハンガリーの話やポランニー兄弟のことについてはある程度著作を読んでいたことも幸いして、あるいは災いしてかわかりませんが、やってみようという気になったのでした。(この項続く)

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