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2013年5月13日 (月)

トート・ヤーノシュ君

日本にいるときはカーラース・イムレと言語交換レッスンをしていましたが、ハンガリーでは、友人が紹介してくれたトート・ヤーノシュ君という日本語を勉強している同い年の看護師の青年と定期的に会って勉強していました。

かつて、岩崎悦子先生は、「ハンガリー語を勉強する日本人には変わった人が少なくないけど、日本語を勉強するハンガリー人も結構変わった人が多いですよ」とおっしゃっていました。

そう言われてみると、留学中に知り合ったハンガリー人でも、日本語に興味を持つ人というのは、少なくとも好奇心旺盛で他人と違ったことをやりたいという点で、ちょっと変わっていたかもしれません。

トート・ヤーノシュ君は性格的には至って穏やかで優しい独身のハンガリー人青年で、エキセントリックなところはまったくありませんでしたが、住んでいるところがすごいところでした。その点をとってみるとやっぱり変人だったかもしれません。

そこは勤め先の精神病院の地下のボイラー室なんかがあるところの並びの一室で、明かりをとるちょうど地面すれすれの小さの窓がひとつあるきりの、昼間でも電気をつけなければいけないような部屋でした。

電気も裸電球で、生活に必要な設備はなんとか調ってはいたようですが、トイレとかシャワーとかどうなっているのか確かめるのが怖いようなところでした。ただ、ベッドの枕元に熱帯魚を飼っている、青白くライトアップされた40×60センチくらいの水槽があって、そこに色鮮やかなグッピーのような熱帯魚たちがたくさん泳いでいました。

元々は地下の倉庫だったところを改造したらしく、家賃がかからないだけがとりえだとのことでした。若い看護師仲間が同じような部屋に何人か暮らしているとのことでした。

当時、ブダペストの住宅事情はあまり良くなくて、お金のない若い人たちにとっては家賃も高くて大変だとのことでした。それで、トート・ヤーノシュ君も20代からずっとそこに住んで、貯金をしてから自分の部屋を買おうという計画だったようです。

実際に、その計画は知りあってから数年後の私の留学期間中に実現し、ちゃんとした住居に引っ越すことができました。引越しにも随分時間をかけていました。持っていく荷物は多くなくても、新居の改修工事とかにやたらと時間がかかっていたようです。

さて、そんなトート・ヤーノシュ君の暗い部屋で、日本で発売されたばかりの浅津・岩崎編『ハンガリー語1500語』(大學書林)という単語集を持って行って、ハンガリー語の単語と日本語の意味をテープに交互に録音するという作業をやったりしていました。あのテープはどうなったんでしょうね。

録音機材が彼の部屋にあったので、そこでしか作業できなかったのですが、それ以外は私のアパートでふつうに言語交換のレッスンをしていました。私の3年間の留学期間はずっと定期的に会っていました。

私の方は書いた文章の文法チェックをしてもらったり、ハンガリー語の慣用的表現や語感を教わったりといろいろ学ばせてもらいました。日本語の方はどうだったでしょうね、当時はあまりいい日本語のテキストもなくて、結構勉強しにくかったと思います。

私が帰国するときには、レッスンを留学生仲間にお願いしましたが、最近は連絡が途絶えてしまいました。

もうお互いにいい年齢になっちゃいましたが、またいつか会えるといいなと思っています。

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