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2014年10月

2014年10月 6日 (月)

ハンガリー法学派の系譜(研究報告)

*以下は通信教育部広報誌「PAL」に寄せた原稿です。今までの内容と重なるところはありますが、ご容赦ください。

今年の
8月末から9月初めまで、学術調査で2週間ほどハンガリーに滞在してきました。ハンガリーは4年ぶりです。目的は「1948年前後のハンガリーの法学者をめぐる社会情勢の調査」でした。

私がハンガリー政府給費留学生として首都ブダペストに滞在したのは19872月から19903月まででしたが、実はその2年前の1985年から2年続けて春先の3ヶ月ほどをハンガリーで過ごしていました。

その時期を含めると、ほぼ30年前からハンガリーに関わってきたわけですが、さすがに30年という月日は長く、当時研究や論文作成の指導をしていただいた先生方4人のうち3人がすでに他界されてしまいました。

当時40代だったナジ・エンドレ先生だけは今もお元気で、今回は教え子で、エトヴェシュ・ロラーンド大学法学部の法哲学者、ジダイ・アーグネシュ女史ともお会いすることができました。

ナジ・エンドレ先生は私がずっと研究してきたハンガリー法学派の系譜に連なる思想家です。今回ご紹介いただいたジダイ・アーグネシュ先生もまたこの流れをくむ極めて優れた法哲学者だということが、今回いただいた著作からもわかりました。

ところで、ハンガリー法学派とは、存在の論理と当為(「べき」)の論理との間の矛盾を意識しながら、現実の政治力学や法解釈実務の中で可能な限りの利益衡量をはかろうとする法哲学者の系譜です。

彼らは目まぐるしく変転する近現代ハンガリーの政治状況に翻弄されながらも、粘り強く自身の思索を展開し、また、しばしば政治活動にも関わってきました。

しかし、1948年以降の社会主義ハンガリーにおいては、突然主流となったマルクス主義法学派から「ブルジョア的」とか「修正主義」という烙印を押され、排斥されます。一部の思想家の著作は発禁や閲覧禁止処分を受けてきました。

しかし、社会主義圏の中でも思想統制が1956年以降次第に有名無実化しつつあったハンガリーでは、1980年代に入ると、このハンガリー法学派の知的伝統に対する再評価が始まります。

当時のナジ先生もこの頃からハンガリー法学派についての学術論文と平行して、反体制亡命知識人グループによる国外地下出版物への寄稿も行なっていたそうです(この件については今回初めて話してくれました)。

このハンガリー法学派の知的伝統を発掘し、再評価することには思想史的な意義があるのはもちろんですが、それにもまして、彼らが抱えていた存在と当為の理論的問題を継承し新たに展開させることは、現代の法哲学にとっても一定の理論的寄与ができると考えます。

なお、ありがたいことに、昨年上梓した拙著『価値と真実 ハンガリー法思想史18881979年』(信山社)をハンガリー語に翻訳・出版する話が持ち上がっています。かつて留学中にハンガリー語の博士論文を提出しておいたことがようやく功を奏した形ですが、今回は現地で具体的に話を進めることができました。

ハンガリー語への翻訳は、私が留学中に日本語を教えたことのある(当時は小学生でした)日本文学翻訳家の女性が引き受けてくれました。

しかし、本当のところ、まだ話はしていませんが、この本は私の単著ではなく、ナジ先生とジダイ先生を加えた3人の共著とするつもりでいます。そして、ハンガリー法学派に関する最新の解釈と法理論的考察を含む刺激的な内容にした上で、さらにこれを諸外国に向けて英訳・出版したいと夢想しています。

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