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2014年12月

2014年12月30日 (火)

ハイネのルター解釈

 今書いている教科書からの抜粋です。
 ハイネの引用したルターの発言がそのままの形では見つからないのですが、むしろここまでルターの意図を読み込んだハイネのルター解釈の深さに驚かされています。ハイネの『ドイツ古典哲学の本質』は個性的な名著だと思います。

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17世紀のデカルトに先立って理性の重要性を強調した最初の人は、おそらく宗教改革の指導者、マルチン・ルター(1483-1546)です。ルターが人は信仰によってのみ救われるという、いわゆる信仰義認説を唱えるとき、その手がかりになるのは聖書の言葉とそれを解釈する人びとの理性です。

 この意義を詩人ハイネは次のように表現しています。

 

ルターが「諸君は聖書そのものにより、あるいは道理にかなった理由によって余の説に反対すべきである」という言葉をはっきり述べてから、人間の理性に聖書を説明する権利がみとめられるようになり、その理性が宗教上のすべての論争の最高の審判者とみとめられることになった [i]

 

 この引用では孫引きになるので、ハイネの創造が加味されている可能性がありますので、ルター自身の著作から適切な言葉を引こうと思うと、案外いい表現が出てきません。それでも、いわゆる『95箇条の論題』の18には、「煉獄にある魂が、功績やいわゆる増加する愛の状態の埒外にあるということは、理性によっても、聖書によっても証明されていないと思われる」[ii](下線筆者)とあります。

 また、『キリスト者の自由』に第18においては、キリストに対する信仰が呼び覚まされるのは律法や行いではなく、正しい説教が「私に語られ」「理解されたとき」[iii]であるという表現があります。

 こうしてみると、むしろハイネのルター解釈の深いことに感心させらずにはいられません。このこだわりの読解こそがドイツ古典哲学の本質につながるものなのかもしれません。

 


[i] ハイネ『ドイツ古典哲学の本質』伊東勉訳、岩波文庫、 71

[ii] Martin Luther’s Greatest Works (Kindle Preferred Active Toc)

[iii] マルティン・ルター『新訳 キリスト者の自由・聖書への序言』石原謙訳、岩波書店、195531頁。

2014年12月29日 (月)

愚かな人びと2(実例)

資料を集めていく中で印象に残ったケースを紹介しておきます。

【グルーエンフェルドの実験
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 3人の学生をひとつの部屋に入れ、世間で議論を呼んでいるさまざまな社会問題(中絶問題や環境汚染問題など)について語り合わせる。ただし、三人を部屋へ入れる前にそのうちの一人を無作為に選び、別の二人の意見のどちらが正しいかを判断する権限を与えておく。(その仕事で現金でボーナスが貰えるかもしれないと言い添えた。)
 そして30分後、部屋に5枚のクッキーが載った皿を差し入れる。すると、たいていの場合、”権限”を与えられた学生は当然のようにクッキーを2枚とる。しかも、クッキーを食べながらもしゃべり続け、食べかすが他の二人の顔やテーブルに飛んでも全く頓着しない。
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出典は、ロバート・I・サットン『あなたの職場のイヤな奴』(講談社2008年)ですが、元になっている実験は、
Dacher Keltner , Deborah H. Gruenfeld , Cameron Anderson, “POWER, APPROACH, AND INHIBITION,” Psychological Review, vol. 110. No. 2. 2003. Pp.265-84.
からのものです。

職場でも昇進した途端に態度が横柄になり、権限を振り回す輩は少なくないですが、この実験のように行儀が悪くなるというのは確かに指標の一つになります。

この他に、大学の教員などは特にドレスコードがおかしくなって、TPOが認識できなくなるのがいます。昔のようにネクタイを締めず、ジーンズでいることが反権力的で格好いいと勘違いしているような古典的な人は、さすがに今では少なくなりましたが、基本的にコードが壊れていると感じさせられる人がいます。

それから、自分のほうが地位が上だと思っている人は、周囲に挨拶をしなくなります。意図的に無視しますね。上長に対してはにこやかに擦り寄っていきますが。

こういう人たちは、群れの階層の中で生きている動物みたいな本能的な感覚に支配されているので、自らの行動を理性では制御できないようです。

危険ですのでこういう連中には自分からは近づかないに越したことはありません。

とはいうもののすれ違ったりするときには、にこやかに挨拶だけはしておくべきでしょう。先方が挨拶を返してこなくても気にしてはいけません。向こうは下々のものどもが目に入らないという精一杯の演技をしているだけで、実はハリネズミのようにこちらの出方を窺っていますので、用心が必要です。

くわばらくわばら。

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