日記・コラム・つぶやき

2017年4月 2日 (日)

師匠の背中を追って

以下は通信教育部のウェブサイトに載せる予定の原稿です。長くなったので、字数制限がかかるかもしれません。とりあえず、こちらに完全バージョンを置いておきます。

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師匠の背中―あるいはフランス思想の特徴について

  

 私の大学院での指導教授は中村雄二郎という哲学者でした。中村先生は西洋哲学における sense の問題を「共通感覚」としてとらえ直し、展開させて来られました。90歳を越えた今も、執筆こそされてはいないものの、変わらずお元気でいらっしゃるそうです。

 中村先生は書斎の中だけで思索するタイプではなく、一時はデザイン事務所を開こうかと思われていたほど絵心があり、実際、ご自身の著作の多くの装丁を手がけられています。また先生は、東京は下町生まれの生粋の江戸っ子で、子どもの頃から東京中の能や歌舞伎、古典から現代演劇まであらゆるお芝居を観て歩いてこられた見巧者でもあります。

 さて、当時の大学院のゼミは毎週土曜日の午後に隔週で英語とドイツ語の文献を読み解いていくもので、私が博士課程に入ってからは午前中のフランス語の文献購読が加わり、一日78時間くらいは顔を突き合わせているような状態でした。もっとも、先生に観劇のご予定があるときだけは幾分早めに終了しましたが。

 ゼミではドイツ語はケルゼン、フランス語はコジェーヴ、英語ではマッキンタイアなどの文献を読んでいましたが、こうした思想書の原典講読を通じて、入念なテクスト読解と議論の仕方を体得していくのは、わが国の人文系・社会科学系大学院の伝統的な方法でした。

 このオーソドックスな授業方式は、授業の前に丁寧に下読みしていくことで、文献読解力が向上することはもちろんですが、原典の理路を丹念に追うことを通じて、著者の緻密な論理展開の方法を体感することができます。そして、その読解作業での先生のコメントを通して、ソクラテス、プラトン以来の西洋哲学の問題を今日の中村雄二郎という思想家がどう受け継いできているのかということについても間接的に教えられることになるわけです。

 中村先生の「共通感覚」という問題もまた、アリストテレス以来のそれを受け継いできたものですが、理性中心に展開されてきたデカルト以降の近代哲学の流れの中ではこのsensus communis の問題は傍らに追いやられてきました。ところが、近代理性中心主義の歪みが意識されてくるにつれて、このsense の問題は現代哲学の重要なトピックとして再び浮かび上がってくるようになりました。

 中村先生のこの問題へのアプローチはパスカル、ベルクソン、アランといったフランス哲学の系譜に連なるもので、実際に先生はベルクソンやアランの本を翻訳されていることもあり、そうした先達の直感的方法については彼らのフランス語と格闘しながら体得されていたように思われます。

 もとよりフランスの哲学者・思想家には、詩人のことばのような印象的な表現を紡ぎ出してくるところがあります。有名なところでは、デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」やパスカルの「人間は考える葦である」といった表現がありますが、哲学の文体もこういう気の利いた直感的表現が連想でつながっているようなものとなります。

 フランス哲学ではときにテクストの思わぬところに重要なことが書かれていることがあり、著者の論理の飛躍にも付き合わなければならないところがあります。同じ西洋哲学でも、論理を丹念に組み立てていくドイツ的な思考法とはしばしば好対照をなしています。

 そうしたフランスの先哲の言葉は読み手の側に強い印象とともに記憶され、脳裏で反復されては、現実の社会の中でことあるごとにその有効性を検証されていくことになります。そして、こうして問題を考え続けていくと、まれに哲学的問題の一見かけ離れた点と点、概念と概念とが結びつくようなひらめきが得られ、それまで予想もしなかった視界が開けることがあります。もっとも、そんな僥倖は年に何度もあるものではありませんが。

 私の場合、ここ何年かは、ベルクソンの「宗教は自然の防御的反作用である」というテーゼと、アランの「社会は強制された友情のようなものである」という表現にほとんど取り憑かれたような状態でいます。最近ようやくささやかな閃きらしきものが得られましたので、その一部は今年の秋に『言葉の創造力―歴史・思想・宗教』という題名の著書を出す予定です。

 ところで、中村先生がよくおっしゃっていたのは、17世紀、18世紀、19世紀からそれぞれ一人の思想家を選び、その著作を生涯何度も繰り返して読むように、ということでした。時代の流行に惑わされそうになったら、そこに立ち戻るといい、とも。そういえば、1980年代にわが国でも流行ったあのポストモダンというかなり浮ついた潮流からも先生は適度で絶妙な距離を取りつつ、ご自身の仕事に集中されていたことが今にして思い出されます。

 さて、不肖の弟子たる私も、この点については師匠の教えを素直に守って、それぞれデカルト、カントおよびヘーゲルを選び出し、今でも折にふれて読み返すようにしていますが、それに加えて当時の中村先生の言葉は、還暦も近づいてきた今になっても何度も脳裏に甦ってきます。ほとんど習慣のようにいつも先生の言葉を思い浮かべては、その言葉と心の中で対話をしながら問題を考えてきたためか、いつのまにか喋り方まで似てきてしまったようです。

 以前、ある研究会で私が発表したとき、研究会の世話人で、同じ中村雄二郎門下の後輩であるI君から、私の口調が先生そっくりだったので、笑いをこらえるのに苦労したと言われたことがあります。師匠の影響は、もはや思想だけでなく、身体にも及ぶようになってきたようですから、まったくもって師弟関係おそるべしです。

 実際のところ、現在の私の研究も、人びとが当たり前と思っている文化や規範のあり方について、哲学的、社会学的、あるいは社会心理学的分析を行うものですので、言うまでもありませんが、これは中村先生の提起された「共通感覚」の問題圏を一歩も出ていません。

 おそらく今後も師匠の背中を追いながらも、ついに追いつききれない自分を思い知らされるのは間違いないでしょう。せめて置いてきぼりにだけはされないように精進していきたいと思っています。


2014年6月24日 (火)

iPhoneと電子書籍と端末について

[以下は日本説得交渉学会のブログ記事の再掲です。こちらにも載せておきます。]

今年の4月から携帯を iPhone に変えたこともあって、いろいろと機能を試しながら楽しんでいますが、そこで気がついたことを電子書籍を中心に少しまとめておきます。

以前から電子書籍はKindleの専用端末、Kindle fire HD 7インチを通じて楽しんでしましたが、KindleアプリはPCやAndroidタブレットあるいはiPadでも使うことができるので、タブレットとしては用途が制限されている専用端末を今ではあまり使わなくなってしまいました。特に北斎漫画のような画集はiPadのKindleアプリを用いた方が拡大が自在にできて便利だったりします。

iPhoneに変えてみると、iPhoneでもKindleアプリはダウンロードでき、問題なく動いてくれるため、結局今ではKindleもiPad miniもAndroidタブレットも持ち歩かず、もっぱらiPhoneだけで済ませています。

なお、端末で様々なPDFファイルも読みたい場合はiPadが便利です。iPad miniではちょっと小さくてつらいところがあります。

電子書籍のファイルはKindleのファイルの他にもアプリごとに色々あって、これが統一されていないのが厄介です。楽天の電子書籍みたいに廃止されてしまうとえらいことになります。外国の電子書籍はPDFで送られてくることもあって、それはそれでいいのですが、PDFファイルでは辞書機能などが使えなかったりして、これはこれで決して便利ではありません。

というわけで、現在のところはiPhoneでKindleとAppleのiBooks(それとごくまれに国産のhonto)アプリを使って様々なジャンルの本を読んでいます。機器やアプリが進化すれば、この状態はまた変わってくると思います。

電子書籍のいいところは、著作権の切れた作家のものが無料または100円程度で手に入れられることです。また、洋書は新刊でも1000円以下で手に入るものが多く、古今東西の古典全集や新刊本が端末の中に常にある状態ですので、自分の書斎を持ち歩いている感覚になります。

私の場合はプラトン、アリストテレス、ベーコン、デカルト、パスカル、カント、ヘーゲル、ヒューム、J.S.ミルあたりの哲学者については全集ないしは著作集に加えて、新旧約聖書や平家物語、源氏物語などもダウンロードして持ち歩いています。何か気になる表現があれば検索機能を使って参照ページにたどり着くことも容易です。言ってみれば、iPhoneの中に本棚がまるごと入っているようなものです。

ただ、電子書籍は研究で引用文献を示す時には不便というか使えません。電子書籍ファイルでは端末に合わせて文字の大きさや組み換えが自在であることもあり、ページ数が固定されていないので、出典をページ数まで示すことができないからです。

この場合は仕方ないので、古典の場合は図書館で、新刊書だと紙の本をあらためて買うこともあります。刺激的な発想の詰まったTalebのAntifragileなんかどちらも買っていますが、このあたりどうにかならないでしょうかね。

最後にKindleでもiBookでも無料でダウンロードできる(つまり著作権の切れた「青空文庫」からの)ものの中でおすすめの本をいくつか挙げておきます。PC上でも読めます。お時間のあるときにどうぞ。

・河口慧海『チベット旅行記』(嘘のような本当の本。挿絵も入って楽しいです)

・末弘厳太郎『役人学三則』(これから公務員になる人は是非)
・夢野久作『能とはなにか』『能嫌い/能好き/能という名前』(こんなに上手く書かれた能楽入門書は他にありません)
・モルナール・フェレンツ/森鴎外訳『最終の午後』(ハンガリー文学からの贈り物。見事な訳文です)

2014年2月 1日 (土)

ニーデルハウゼル先生の思い出

 私はかつて1987年から1990年までの3年間をハンガリー政府給費留学生として、首都ブダペストで過ごしました。

 この留学期間中に指導教授としてお世話になった先生の一人がニーデルハウゼル先生でした。

 ニーデルハウゼル先生が指導教授を引き受けてくださったのは、もともと留学前に師事しようと考えていたリトヴァーン先生が「自分は政権に好かれていないから」とのことで気を利かせていただいて、ハンガリーアカデミー歴史学研究所で同僚のニーデルハウゼル先生の名前を借りて、ハンガリー政府給費留学のための推薦状を作ってくださったのがきっかけでした。

 ニーデルハウゼル先生は、英仏独語はもとより、東欧ロシア18カ国語を操る語学の達人で、当時すでに東欧ロシア史の分野では世界的な大家でした。しかし、並外れた研究者でありながら、少しも偉ぶったところがない、たいへん気さくなお人柄で、私も公私共に大変お世話になりました。

 当時私はハンガリー語で学位論文を書いていたこともあって、毎週執筆の進捗状況を報告に研究所を訪れていましたが、原稿を持って行くと丁寧にハンガリー語のネイティブチェックまでしていただきました。

 それにしても、ハンガリーアカデミーの正会員にチューターのようなことまでさせてしまったのは本当に恐縮ですが、私が留学中に論文をまとめることができたのは言うまでもなく先生の献身的なご指導のお陰です。

 先生は日本にも講演に来られたことがあり、日本人研究者との交流も多く、そのため、ハンガリー留学中にお世話になった研究者は私以外にも10人を下りません。

 その内の11人の研究者が集まって先生の1995年に出た著書『東欧史学史』を翻訳したものが今年北海道大学出版会から無事出版されました。これが『総覧 東欧ロシア史学史』(北海道大学出版会2013年)です。

 2005年に東欧ロシア史学史研究会を結成したメンバーが中心に、東欧諸地域の専門家の協力も仰ぎつつ、年2回の会合を繰り返しながら翻訳を進め、このたびようやく完成にこぎつけました。

 ニーデルハウゼル先生は2010年に病床で本書の見本版を目にしてから他界されました。享年86歳でした。本書の刊行を大変お喜びだったとのことで、何よりでした。

 本書は東欧ロシア地域において、歴史学がどのように記述されてきたかを扱う専門的な歴史書ですが、同時に各国の歴史研究者にとって基礎的文献となるべき労作です。

 ここで扱われている文献情報も1万件近くになりますが、今後の各地域の研究者の協力により、いっそう充実した文献情報データベースの役割をも果たすものになることが期待されています。

 私の研究分野はハンガリーの法・社会思想史ですが、歴史ということに関しては歴史家の端くれとも呼べないほどの存在です。それでもニーデルハウゼル先生のような素晴らしい歴史家に個人的に接することができたのは、幸運な偶然としか言いようがありません。

 そして何よりも、このとき目の当たりにした先生の学問に対する真摯な姿勢と情熱は、今も私の心のなかにもしっかりと刻印されています。先生を研究者の鑑として今後一層精進していきたいと思います。

「愛知産業大学通信教育部PAL」2014年1−3月号より転載)

2013年5月13日 (月)

トート・ヤーノシュ君

日本にいるときはカーラース・イムレと言語交換レッスンをしていましたが、ハンガリーでは、友人が紹介してくれたトート・ヤーノシュ君という日本語を勉強している同い年の看護師の青年と定期的に会って勉強していました。

かつて、岩崎悦子先生は、「ハンガリー語を勉強する日本人には変わった人が少なくないけど、日本語を勉強するハンガリー人も結構変わった人が多いですよ」とおっしゃっていました。

そう言われてみると、留学中に知り合ったハンガリー人でも、日本語に興味を持つ人というのは、少なくとも好奇心旺盛で他人と違ったことをやりたいという点で、ちょっと変わっていたかもしれません。

トート・ヤーノシュ君は性格的には至って穏やかで優しい独身のハンガリー人青年で、エキセントリックなところはまったくありませんでしたが、住んでいるところがすごいところでした。その点をとってみるとやっぱり変人だったかもしれません。

そこは勤め先の精神病院の地下のボイラー室なんかがあるところの並びの一室で、明かりをとるちょうど地面すれすれの小さの窓がひとつあるきりの、昼間でも電気をつけなければいけないような部屋でした。

電気も裸電球で、生活に必要な設備はなんとか調ってはいたようですが、トイレとかシャワーとかどうなっているのか確かめるのが怖いようなところでした。ただ、ベッドの枕元に熱帯魚を飼っている、青白くライトアップされた40×60センチくらいの水槽があって、そこに色鮮やかなグッピーのような熱帯魚たちがたくさん泳いでいました。

元々は地下の倉庫だったところを改造したらしく、家賃がかからないだけがとりえだとのことでした。若い看護師仲間が同じような部屋に何人か暮らしているとのことでした。

当時、ブダペストの住宅事情はあまり良くなくて、お金のない若い人たちにとっては家賃も高くて大変だとのことでした。それで、トート・ヤーノシュ君も20代からずっとそこに住んで、貯金をしてから自分の部屋を買おうという計画だったようです。

実際に、その計画は知りあってから数年後の私の留学期間中に実現し、ちゃんとした住居に引っ越すことができました。引越しにも随分時間をかけていました。持っていく荷物は多くなくても、新居の改修工事とかにやたらと時間がかかっていたようです。

さて、そんなトート・ヤーノシュ君の暗い部屋で、日本で発売されたばかりの浅津・岩崎編『ハンガリー語1500語』(大學書林)という単語集を持って行って、ハンガリー語の単語と日本語の意味をテープに交互に録音するという作業をやったりしていました。あのテープはどうなったんでしょうね。

録音機材が彼の部屋にあったので、そこでしか作業できなかったのですが、それ以外は私のアパートでふつうに言語交換のレッスンをしていました。私の3年間の留学期間はずっと定期的に会っていました。

私の方は書いた文章の文法チェックをしてもらったり、ハンガリー語の慣用的表現や語感を教わったりといろいろ学ばせてもらいました。日本語の方はどうだったでしょうね、当時はあまりいい日本語のテキストもなくて、結構勉強しにくかったと思います。

私が帰国するときには、レッスンを留学生仲間にお願いしましたが、最近は連絡が途絶えてしまいました。

もうお互いにいい年齢になっちゃいましたが、またいつか会えるといいなと思っています。

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